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ブルクハルトのイタリア・ルネサンスの文化のメカニズム

## ブルクハルトのイタリア・ルネサンスの文化のメカニズム

ブルクハルトの着眼点

ヤコブ・ブルクハルトは、1860年に出版した『イタリア・ルネサンスの文化』の中で、14世紀から16世紀にかけてイタリアで起こった文化的な変化を「近代の夜明け」と位置づけました。彼は従来の歴史観にとらわれず、政治史や戦争史ではなく、美術、文学、建築、そして人間そのものを観察することで、ルネサンス特有の精神構造を明らかにしようと試みました。

個人主義の発見

ブルクハルトは、ルネサンス期に「個人の発見」が起こったと主張しました。中世においては、人間は神の下僕であり、個人の価値は認められていませんでした。しかし、ルネサンス期に入ると、古代ギリシャ・ローマ文化の復興や経済活動の活発化などを背景に、人間は自らの能力や感性を自由に表現することができるという意識が芽生え始めました。ブルクハルトは、この「個人の自覚」が、ルネサンス文化を生み出した原動力であると考えたのです。

世俗性の高まり

ルネサンス期には、宗教的な価値観から離れ、現世の喜びや美を追求する傾向が強まりました。これは「世俗化」と呼ばれます。ブルクハルトは、古代文化への関心の高まりや都市経済の発展が、人々の意識を教会や来世から現世的なものへと転換させた要因であると分析しています。

古代への憧憬と模倣

ルネサンス期の人々は、古代ギリシャ・ローマ文化に理想郷を見出し、その復興を目指しました。彼らは古代の文学作品や美術作品を研究し、その様式や精神を自らの作品に取り入れようとしました。ブルクハルトは、この古代への憧憬と模倣が、ルネサンス文化に独特の美意識と精神性をもたらしたと評価しています。

パトロンの役割

ルネサンス文化の開花には、芸術家を経済的に支援し、創作活動を奨励したパトロンの存在が欠かせませんでした。教皇や貴族、商人たちは、自らの権威や富を誇示するために、あるいは美的欲求を満たすために、芸術家たちを保護し、作品制作を依頼しました。ブルクハルトは、こうしたパトロンの活動が、ルネサンス文化の繁栄に大きく貢献したことを強調しています。

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