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ブルクハルトのイタリア・ルネサンスの文化に関連する歴史上の事件

ブルクハルトのイタリア・ルネサンスの文化に関連する歴史上の事件

1. 十字軍

十字軍は、11世紀後半から13世紀後半にかけて、西ヨーロッパのキリスト教徒が、イスラム教徒によって占領されていた聖地エルサレムを奪還するために、東方のイスラム世界に対して行った一連の宗教戦争です。十字軍は、イタリアの都市国家、特にヴェネツィア、ジェノヴァ、ピサに大きな経済的・文化的影響を与えました。これらの都市国家は、十字軍への物資や兵員の輸送で巨額の富を築き、東方世界との貿易を通じて、イスラム世界の文化や知識に触れる機会を得ました。このことが、イタリアにおけるルネサンスの文化的土壌を育む一因となりました。

2. 東方貿易の隆盛

十字軍の結果として、イタリアの都市国家は東方世界との貿易で大きな利益を上げました。特に、ヴェネツィアは、東方貿易の拠点として繁栄し、香辛料、絹織物、宝石などの高級品が大量に流れ込みました。こうした東方からの輸入品は、イタリアの人々の生活を豊かにし、物質的な豊かさは、芸術や文化に対する関心を高める要因となりました。また、東方貿易を通じて、古代ギリシャ・ローマの文化や知識が、イスラム世界を経由してイタリアにもたらされました。

3. ビザンツ帝国の衰退と滅亡

ビザンツ帝国は、東ローマ帝国の継承国家として、1000年以上にわたって、古代ギリシャ・ローマの文化と伝統を守り伝えてきました。しかし、15世紀に入ると、オスマン帝国の圧力によって、ビザンツ帝国は徐々に衰退し、1453年、首都コンスタンティノープルがオスマン帝国によって陥落させられました。このとき、多くのビザンツ帝国の学者や芸術家が、古典古代の写本や知識とともに、イタリアに亡命しました。彼らの到来は、イタリアにおける古典古代文化の復興、すなわちルネサンスを促進する大きな要因となりました。

4. 黒死病の流行

14世紀半ば、ヨーロッパ全土を襲った黒死病の大流行は、イタリアにも甚大な被害をもたらしました。黒死病の流行は、社会に大きな混乱と変化をもたらし、従来の社会秩序や価値観が崩壊しました。しかし、一方で、黒死病は、人口の減少によって、労働力の価値を高め、経済構造に変化をもたらしました。また、黒死病の流行は、人々に現世の無常観や死生観への関心を高めさせ、人間中心主義的な世界観を育む要因となりました。

5. イタリアにおける都市国家の発展と競争

イタリアは、中世後期からルネサンス期にかけて、フィレンツェ、ヴェネツィア、ミラノ、ローマ、ジェノヴァなどの都市国家が、経済力と軍事力を背景に、互いに競い合いながら発展しました。各都市国家は、独自の政治体制、経済活動、文化を育み、芸術家を育成し、壮大な建築物を建設しました。都市国家間の競争は、芸術家や思想家の活動を刺激し、ルネサンス文化の繁栄を促しました。

6. メディチ家などのパトロンの存在

ルネサンス期のイタリアでは、裕福な商人や貴族が、芸術家を経済的に支援するパトロンとして、重要な役割を果たしました。フィレンツェのメディチ家は、その代表的な存在であり、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ボッティチェリなど、多くの芸術家を支援し、芸術作品の制作を依頼しました。パトロンの存在は、芸術家たちが経済的な心配をすることなく、創作活動に専念することを可能にし、ルネサンス芸術の傑作を生み出す原動力となりました。

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