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フレーベルの人間の教育の周辺

## フレーベルの人間の教育の周辺

フレーベルの生きた時代背景

ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチの活躍した時代からおよそ半世紀後、フリードリヒ・フレーベル(1782-1852)はドイツのテューリンゲン地方に生まれました。啓蒙主義や産業革命、フランス革命など激動の時代を経たドイツは、国民国家の形成へ向けて大きく揺り動いていました。フレーベルは、ナポレオン戦争による混乱や、その後のドイツ社会における政治的不安、経済的困窮を目の当たりにします。このような時代背景の中、人間の精神的な統一と社会の調和を強く願い、教育の重要性を認識するようになりました。

ペスタロッチの影響

フレーベルは、ペスタロッチの教育思想に深く影響を受けました。ペスタロッチは、子どもの自発的な活動や感覚経験を重視する教育を提唱し、「子どもの本質は善であり、適切な環境を与えられれば自ずと成長していく」という考えを持っていました。フレーベルは、実際にペスタロッチの学校で教師として働きながら、その教育実践を体験し、深い感銘を受けます。

「人間の教育」の内容

フレーベルの主著である「人間の教育」は、1861年に出版されました。この本は、フレーベルの教育思想の集大成であり、幼児教育のバイブルとも呼ばれています。人間の教育は、人間の生涯にわたる発達を包括的に捉え、幼児期における教育の重要性を説いています。フレーベルは、子どもを「神の創造物」として捉え、その内面に秘められた可能性を最大限に引き出すことが教育の目的だと考えました。

幼児教育の創始

フレーベルは、「遊び」を子どもの最も重要な活動と捉え、「恩物(Gifts)」と呼ばれる教材を考案しました。恩物は、球や立方体など、単純な幾何学図形を基本とした教材であり、子どもたちはこれらを自由に操作することで、形や数、空間などの概念を自然と身につけていくことができます。また、フレーベルは、3歳から6歳までの子どもを対象とした教育機関「幼稚園(Kindergarten)」を初めて創設しました。幼稚園は、子どもたちが遊びを通して学び、創造性を育む場として構想されました。

フレーベルの教育思想の広がり

フレーベルの教育思想は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、世界中に広まりました。特に、アメリカやイギリスでは、フレーベルの思想に共感した人々によって、数多くの幼稚園が設立されました。日本においても、明治時代にフレーベルの教育思想が導入され、日本の幼児教育の基礎を築く上で大きな影響を与えました。

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