フッサールの純粋現象学および現象学的哲学の諸問題の原点
フッサールの知的背景
エドムント・フッサール(1859-1938)は、オーストリア・ハンガリー帝国(現在のチェコ共和国)のモラビア地方にあるユダヤ人の家庭に生まれました。彼は当初、ウィーン大学で数学を学び、1881年に学位を取得しました。その後、ベルリン大学でレオポルト・クロネッカーの下で数学の研究を続けましたが、すぐに哲学に興味を持つようになりました。
心理学主義批判と意識への関心の高まり
フッサールは、当時の心理学主義の風潮、すなわち、論理学や数学などの哲学の基礎を心理学に求めようとする風潮に強く反対していました。彼は、論理学や数学の真理は、人間の心理的なプロセスとは独立した客観的なものであると主張しました。この主張は、彼の後の現象学の思想に大きな影響を与えました。
「論理学研究」と現象学的方法の萌芽
フッサールの初期の主要な著作である『論理学研究』(1900-1901)は、心理学主義に対する批判から始まりました。彼はこの著作の中で、論理学の基礎は人間の意識の構造にあると主張しました。しかし、フッサールがここでいう「意識」は、自然科学的な対象としての意識ではなく、「何かを意識する」という意識の働き itselfに焦点を当てたものでした。
「イデーン」と現象学的還元
フッサールは、意識の構造を明らかにするために、「現象学的還元」という方法を開発しました。この方法は、我々が当然のことと考えている前提や偏見をすべて括弧に入れ、事物が意識に現れる仕方そのものをありのままに記述することを目的としていました。彼は、この方法によってのみ、意識の構造をなす「イデーン」、すなわち本質的な構造を明らかにできると考えました。