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フィヒテの全知識学の基礎の話法

## フィヒテの全知識学の基礎の話法

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フィヒテの哲学における話法の特異性

フィヒテの主著『全知識学の基礎』は、その難解さで知られています。その要因の一つに、独特な話法が挙げられます。伝統的な哲学書のように、命題を提示し、論証を重ねていくスタイルではありません。フィヒテは、読者自身が意識の働きかけを自ら体験することを通じて、知識の必然性を理解することを目指しました。そのため、『全知識学の基礎』は、読者への呼びかけや問いかけを交えながら、意識の内面的な活動を描写していくという特異な形式を取っています。

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「われ」という語の多義性

フィヒテ哲学の出発点は、「自我」あるいは「自己意識」とも呼ばれる「われ」にあります。そして、『全知識学の基礎』では、この「われ」を語る独特の話法が展開されます。重要なのは、フィヒテが用いる「われ」という言葉が、一義的な意味に固定されていない点です。文脈によっては、「われ」は個別の有限な自我を指すこともあれば、世界を構成する超越論的な原理を指すこともあります。また、「われ=われ」という一見同語反復に見える表現も頻繁に登場しますが、これも実際には、受動的な自己意識から能動的な自己意識への移行など、動的な意味を帯びています。このような「われ」という語の多義性も、『全知識学の基礎』を難解にしている一因と言えるでしょう。

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対話形式と弁証法的展開

『全知識学の基礎』では、しばしば読者への呼びかけや問いかけが登場します。これは、フィヒテが読者を対話の相手に設定し、あたかも思考の実験に立ち会わせるかのように、知識の導出過程を示していくためです。また、フィヒテはヘーゲルと同様に、弁証法的な論理展開を用いています。正反合の三つの段階から成る弁証法的な思考の運動を通じて、「われ」は自身の内に潜む矛盾を克服し、より高次の段階へと発展していく様子が描かれます。このような対話形式と弁証法的な展開も、『全知識学の基礎』の話法の特徴と言えるでしょう。

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行為への促し

フィヒテの哲学は、単に知識を体系化するだけでなく、行為への強い動機付けを含んでいます。そのため、『全知識学の基礎』の最終的な目的は、読者に「われ」の働きを自覚させ、自由で道徳的な行為へと促すことにあります。フィヒテは、抽象的な議論を超えて、読者に具体的な行動を呼びかけるのです。このような行為への促しも、『全知識学の基礎』の話法において重要な要素となっています。

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