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フィヒテの全知識学の基礎の表現

フィヒテの全知識学の基礎の表現

表現の二つのレベル

フィヒテの『全知識学の基礎』における表現は、大きく分けて二つのレベルで捉えることができます。一つは、**意識の活動としての表現**であり、もう一つは、**意識の活動の産物としての表現**です。

意識の活動としての表現

フィヒテは、意識を「自己 posit するもの」として捉え、その活動の根本には**「自我は自我である」**という tautology(同語反復)があると主張しました。この tautology は、論理的な命題というよりは、意識の自己同一性を示すための表現と解釈することができます。

意識は、自己同一性を保ちつつ、自己と異なるもの(非我)を posit することで、世界を認識していきます。この自己と非我を posit する活動こそが、「表現」の第一のレベルです。

意識の活動の産物としての表現

意識の活動としての表現は、時間的に先行するものであり、直接的に把握することはできません。私たちが認識できるのは、あくまでも意識の活動の結果として生み出された「表現の産物」です。

具体的には、感覚的直観、概念、言語などが、意識の活動の産物としての「表現」に該当します。これらの表現は、意識の活動によって生み出されたものであり、意識の活動を反映したものとして理解されます。

表現と反省

フィヒテは、意識が自身の活動を対象化し、認識することを「反省」と呼びました。反省を通じて、私たちは、意識の活動の産物としての「表現」を認識し、その背後にある意識の活動に遡ることができるようになります。

ただし、反省によって把握されるのは、あくまでも過去の意識の活動であり、現在の意識の活動は、常に反省の対象から逃れているとされます。

表現の多層性

フィヒテは、表現を単一のレベルのものとして捉えるのではなく、多層的な構造を持つものとして考えました。感覚的直観は、より根源的な意識の活動を表現したものであり、概念や言語は、感覚的直観をさらに抽象化し、表現したものです。

このように、フィヒテにおいて「表現」は、意識の自己構成的な活動を理解する上で重要な概念であり、多層的な構造と動的な側面を持つものとして捉えられています。

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