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パラケルススの医学論の関連著作

パラケルススの医学論の関連著作

ガレノスの医学

古代ローマ時代のギリシャ人医師ガレノス(129年頃 – 216年頃)は、ヒポクラテスの教えを継承し、古代医学を体系化した人物として知られています。彼の医学理論は、四体液説(血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁のバランスが健康を保つとする説)に基づいており、病気はこれらの体液の不均衡によって引き起こされると考えられていました。

ガレノスの医学書は、中世ヨーロッパにおいても医学の標準的な教科書として広く読まれ、パラケルススの時代にも大きな影響力を持っていました。パラケルススは、ガレノスの権威を批判したことで知られていますが、それはガレノス医学を完全に否定するものではありませんでした。パラケルススは、ガレノスの医学理論の一部を認めつつも、経験に基づいた観察の重要性を強調し、錬金術や占星術などの新しい要素を医学に取り入れようとしました。

アヴィケンナの「医学典範」

ペルシャの医師・哲学者イブン・シーナー(980年 – 1037年)、ラテン語名ではアヴィケンナは、11世紀に医学の百科事典ともいえる『医学典範』を著しました。この書物は、ガレノス医学を基礎としつつも、アラビア医学の成果を取り入れ、独自の体系を築き上げたものです。

『医学典範』は、中世ヨーロッパにアラビア医学を伝える役割を果たし、13世紀以降、ガレノス医学と並ぶ権威となりました。パラケルススもまた、アヴィケンナの著作から影響を受けており、特に病気の原因を体液の不均衡だけでなく、外部からの影響や化学的な要因に求めた点は、アヴィケンナの考え方に通じるものがあります。

パラケルスス自身の著作

パラケルスス自身も多くの医学書を著しており、その中で独自の医学理論を展開しました。

彼の主要な著作としては、『奇蹟の医の書』(Paragranum)、『大外科書』(Die grosse Wundarznei)、『鉱山病論』(Von der Bergsucht)などが挙げられます。これらの著作の中でパラケルススは、ガレノス医学やアヴィケンナ医学を批判し、経験に基づいた観察の重要性、錬金術や占星術の医学への応用、そして病気の原因としての化学物質の影響などを主張しました。

パラケルススの著作は、伝統的な医学理論に挑戦し、新しい医学の道を切り開こうとするものでした。彼の思想は、後の時代の医学、特に化学療法やホメオパシーの発展に大きな影響を与えました。

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