## バタイユの呪われた部分から得られるもの
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過剰性と浪費の概念理解
バタイユは、著書『呪われた部分』の中で、人間の経済活動や社会構造を「過剰性」と「浪費」という観点から考察しています。 彼は、自然界において生産されたエネルギーは必ずしも有用な形で消費されるとは限らず、過剰な部分は無駄に消費されると指摘します。そして、人間社会においても、この過剰なエネルギーをどのように消費するかが、文化や文明を理解する上で重要な鍵となると主張します。
例えば、古代社会における祭祀や儀礼は、過剰な富や資源を浪費することによって社会的な均衡を保つためのメカニズムとして機能していたとバタイユは分析します。現代社会においても、芸術や娯楽、あるいは戦争といった活動は、この過剰なエネルギーの消費という観点から解釈することができます。
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理性と非理性の関係への洞察
バタイユは、人間の行動原理を理解する上で、理性だけでなく、非理性の側面にも目を向けることの重要性を強調します。彼は、人間は合理的な計算に基づいて行動するだけでなく、時に非合理的な衝動や欲望に突き動かされる存在であると指摘します。
バタイユによれば、この非合理的な側面は、人間の根源的な不安や死への恐怖に根ざしており、それを克服するために、人間は様々な形で過剰なエネルギーを消費しようとします。そして、この非合理的な側面こそが、人間の文化や文明を形作ってきた原動力の一つであるとバタイユは主張します。
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既存の価値観への批判的視点の獲得
バタイユの思想は、近代社会における合理主義や功利主義といった価値観に対する痛烈な批判として読むこともできます。彼は、近代社会が過剰なエネルギーを生産的に利用することばかりに執着し、非合理的な側面を抑制しようとするあまり、人間の根源的な欲求をないがしろにしていると批判します。
バタイユの思想に触れることは、私たちが当然視している価値観や常識を相対化し、既存の社会システムや権力構造に対して批判的な視点を養うためのきっかけを与えてくれます。
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読書意欲が高いうちに読むと理解度が高まります。