## バタイユのニーチェについての普遍性
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バタイユにおけるニーチェ解釈の位置づけ
モーリス・ブランショは、バタイユの思想を「ニーチェの可能な解釈のひとつ」と位置づけています。バタイユ自身もニーチェの影響を公言しており、その著作の中でニーチェに頻繁言及しています。しかし、バタイユはニーチェの思想をそのまま受け継いだわけではありません。彼はニーチェの思想を独自の視点から解釈し、自身の思想体系構築に利用しました。
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バタイユがニーチェから受け継いだ概念
バタイユは、ニーチェの著作から多くの重要な概念を吸収しました。その中でも特に重要なのは、「生の肯定」「ニヒリズム」「超越」といった概念です。バタイユは、ニーチェが「神は死んだ」と宣言することで西洋文明の基盤であったキリスト教的価値観の崩壊、すなわちニヒリズムの到来を告げたと解釈しました。そして、このニヒリズムを超克するためには、理性や道徳によって抑制された生の根源的な力に回帰する必要があると考えました。これがバタイユの言う「生の肯定」です。
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バタイユによるニーチェ解釈の独自性
バタイユは、ニーチェの思想を単に解釈するのではなく、自身の独自の思想へと発展させました。バタイユは、ニーチェが「力への意志」と呼んだものを「過剰性」という概念と結びつけました。「過剰性」とは、人間存在や自然界に内在する、理性や有用性を超えた無駄と過剰なエネルギーのことです。バタイユは、この「過剰性」こそが、人間を閉鎖的な存在から解放し、生の充溢へと導く力だと考えました。この「過剰性」の概念は、ニーチェには見られない、バタイユ独自のものです。
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バタイユのニーチェ解釈における普遍性
バタイユのニーチェ解釈は、単なる哲学的解釈を超えて、広く人間存在の根源的な問題に光を当てています。バタイユがニーチェから受け継ぎ、独自に発展させた「生の肯定」「ニヒリズム」「過剰性」といった概念は、現代社会においても重要な意味を持ち続けています。合理的思考や物質主義が蔓延する現代社会において、私たちは、バタイユのニーチェ解釈を通して、人間存在の根底にある「過剰性」や「生の力」といったものを再認識し、真の意味での「生の肯定」へと向かうことができるのかもしれません。