## バタイユのニーチェについてから学ぶ時代性
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バタイユとニーチェ:共通の土壌
ジョルジュ・バタイユは、20世紀フランス思想界において異彩を放つ思想家であり、その影響は文学、哲学、社会学など多岐にわたります。彼は、ニーチェを深く研究し、その思想を独自の視点から解釈することで、「否定の経験」「エロス」「超越」といった独自の概念を展開しました。バタイユは、ニーチェの思想を単に解釈するのではなく、それを土台として自らの時代と格闘し、独自の思想を構築していったのです。
バタイユがニーチェから受け継いだ重要な概念の一つに、「神は死んだ」というテーゼがあります。このテーゼは、近代社会におけるキリスト教の権威の失墜と、それに伴う価値観の転換を象徴的に表すものであり、バタイユはこれを、近代社会におけるニヒリズムの問題として捉えました。彼は、ニーチェと同様に、ニヒリズムを単なる絶望ではなく、新たな価値創造の可能性を孕んだものと見なしていたのです。
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「過剰」と「浪費」:近代合理主義への批評
バタイユは、ニーチェの思想を手がかりに、近代社会を支配する合理主義的な思考様式を批判しました。彼によれば、近代社会は、すべてを計算し、制御しようとする合理主義によって支配されており、その結果、人間は「有用性」という狭い枠組みに閉じ込められ、本来持っている「過剰なエネルギー」を発散する場を失ってしまっています。
バタイユは、この「過剰なエネルギー」を「浪費」という概念を用いて説明しました。「浪費」とは、単なる無駄遣いではなく、合理的な目的や利益とは無関係に、過剰なエネルギーを解放する行為を指します。彼は、祭祀や祝祭、芸術といった非生産的な活動の中にこそ、人間本来の「生の充溢」が表現されると考え、近代社会における「浪費」の喪失を批判したのです。
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「エロス」と「死」:超越への希求
バタイユは、ニーチェにおける「力への意志」という概念を独自の視点から解釈し、「エロス」と結びつけました。「エロス」とは、単なる性的な欲望ではなく、自己の限界を超越しようとする根源的な衝動を指します。彼は、人間は「エロス」によって、有限な存在である自己の限界を超越し、無限なるものと一時的に融合することを希求すると考えました。
そして、バタイユは「エロス」と密接に関係する概念として「死」を位置づけました。「死」は、人間の有限性を最も強く意識させるものであり、同時に「エロス」の究極的な表現でもあると考えたのです。彼は、人間は「死」という極限状況に直面することによって、自己の限界を超越する経験をすることができると考えました。