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# ハンチントンの文明の衝突を深く理解するための背景知識

# ハンチントンの文明の衝突を深く理解するための背景知識

冷戦後の国際政治における新たな枠組みの模索

1989年のベルリンの壁崩壊、そして1991年のソビエト連邦崩壊は、冷戦の終焉を告げ、世界は新たな時代へと突入しました。冷戦期、国際政治は主にアメリカ合衆国率いる資本主義陣営とソビエト連邦率いる共産主義陣営というイデオロギー対立によって特徴づけられていました。しかし、冷戦終結後、この枠組みはもはや国際政治の現実を説明するのに十分ではなくなりました。新たな時代における国際関係の動態を理解するための新たな枠組みが求められるようになったのです。

フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」

冷戦後の世界秩序を巡る議論の中で、大きな影響を与えたのがフランシス・フクヤマの「歴史の終わり」という論文(後に書籍化)です。フクヤマは、自由民主主義と市場経済という西側モデルが人類史における「究極の」政治・経済体制であり、歴史的な進化の終着点であると主張しました。彼は、冷戦の終結はイデオロギー闘争における自由民主主義の勝利を意味し、今後は世界的に自由民主主義と市場経済が広まっていくと予測しました。

ハンチントンの文明の衝突:フクヤマへの反論

サミュエル・ハンチントンは、フクヤマの「歴史の終わり」論に異議を唱え、「文明の衝突」という論文(後に書籍化)を発表しました。ハンチントンは、冷戦後の世界ではイデオロギー対立に代わって、文明間の対立が主要な紛争要因となると主張しました。彼は、世界を西洋文明、中華文明、イスラム文明、ヒンドゥー文明、日本文明、スラヴ・正教会文明、ラテンアメリカ文明、そしておそらくアフリカ文明の8つの主要な文明に分類し、これらの文明間の断層線において紛争が起こりやすくなるとしました。

文明の定義:客観的要素と主観的要素

ハンチントンは、文明を「文化実体の中で最も広範なもの」と定義し、言語、歴史、宗教、慣習、制度といった客観的な要素によって区別されるとしました。同時に、彼は文明への帰属意識という主観的な要素も重視し、人々は自分自身をどの文明に属していると感じているかによって行動を左右されると考えました。

文明の衝突の原因:グローバリゼーションと近代化

ハンチントンは、文明の衝突が激化する要因として、グローバリゼーションと近代化を挙げました。グローバリゼーションは、異なる文明の人々をより密接に接触させ、相互作用を増大させます。これは、文化的な摩擦や誤解を生み出し、文明間の対立を深める可能性があります。また、近代化は、伝統的な価値観や生活様式を崩壊させ、人々のアイデンティティを揺るがします。その結果、人々は自らのアイデンティティを求めて、宗教や民族といったより根源的な帰属意識に回帰し、文明間の対立を激化させるとハンチントンは考えました。

文明の断層線:西側文明と非西側文明の対立

ハンチントンは、特に西側文明と非西側文明の対立が深刻化すると予測しました。彼は、西側諸国が普遍的な価値観として自由、民主主義、人権などを押し付けることに対して、非西側文明は反発を強めていると指摘しました。また、西側の軍事力や経済力に対する非西側文明の不満も、対立を激化させる要因となるとしました。

「文明の衝突」に対する批判とハンチントンの反論

ハンチントンの「文明の衝突」論は、発表当初から多くの批判を浴びました。主な批判点は、文明を過度に単純化し、固定化していること、文明内部の多様性や文明間の相互作用を軽視していること、文明間の対立を必然的なものと決めつけていることなどです。ハンチントンはこれらの批判に対して、自説の修正や補足を行い、「文明の衝突」論の精緻化に努めました。

「文明の衝突」の影響と現代における意義

「文明の衝突」論は、冷戦後の国際政治を理解する上で大きな影響を与えました。特に、9.11同時多発テロ事件以降、イスラム文明と西側文明の対立が顕在化する中で、ハンチントンの主張は改めて注目を集めました。ただし、「文明の衝突」はあくまでも一つの仮説であり、国際政治の複雑な現実を完全に説明できるものではありません。ハンチントンの主張を批判的に検討し、その限界を理解した上で、現代の国際政治における文明の役割について考察することが重要です。

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