## ニーチェの悲劇の誕生の批評
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学術界からの批判
「悲劇の誕生」は、発表当時から学者たちから激しい批判を受けました。特に、古典文献学の権威であった、 **
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ウルリーチ・フォン・ヴィラモヴィッツ=メレンドルフ
は、その内容の杜撰さを痛烈に批判しました。 彼は、「悲劇の誕生」における古代ギリシャ文化の解釈が、歴史的資料に基づいておらず、ニーチェの主観的な想像に過ぎないと主張しました。例えば、ニーチェが古代ギリシャ文化を
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アポロン的
なものと
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ディオニュソス的
なものという二元論で捉え、悲劇をその対立と調和によって説明しようとした点などを批判しました。
ヴィラモヴィッツの批判は、当時の学術界に大きな影響を与え、「悲劇の誕生」は学問的に低い評価を受けることとなりました。ニーチェ自身もヴィラモヴィッツからの批判に深く傷つき、その後の彼の思想にも大きな影響を与えたと言われています。
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ワーグナーとの関係
「悲劇の誕生」は、当時ニーチェが傾倒していた作曲家
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リヒャルト・ワーグナー
への賛辞として書かれた側面があります。ニーチェは、ワーグナーの音楽にこそ、古代ギリシャ悲劇の精神が蘇っていると信じていました。しかし、後にニーチェはワーグナーと袂を分かちます。その理由の一つに、ワーグナーの作品が持つ
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ゲルマン民族主義的
な傾向への反発がありました。
ニーチェは、ワーグナーの作品が、ドイツ的なるものへの偏狭な愛国心に利用されることを危惧していました。ニーチェは、真の芸術は、特定の民族や国家を超えた、普遍的な人間精神を表現するものであると信じていたからです。ワーグナーとの決別後、ニーチェは「悲劇の誕生」を自己批判し、その内容の一部を否定するに至ります。
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哲学的批判
「悲劇の誕生」は、その哲学的内容についても多くの批判を受けてきました。特に、ニーチェが
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ショーペンハウアー
の影響を強く受けている点が指摘されています。ショーペンハウアーは、世界の本質を
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意志
という盲目で非理性的、そして、苦悩に満ちたものだと捉えました。ニーチェもまた、「悲劇の誕生」において、人生を苦悩に満ちたものとして描いています。
しかし、ニーチェはショーペンハウアーのように、
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禁欲
や
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諦観
によって苦悩から逃れようとはしませんでした。ニーチェは、苦悩の中にこそ、人生の真実を見出そうとしたのです。彼は、芸術、特に音楽が、我々を苦悩の根源たる意志の世界へと誘い、生の肯定へと導くと考えました。
以上のように、「悲劇の誕生」は、発表当時から多くの批判を受けてきました。しかし、その内容は、古代ギリシャ文化、音楽、そして人生の意味について深く考えさせるものであり、現代においてもなお、多くの読者を惹きつけてやみません。