## ニーチェのこの人を見よが扱う社会問題
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キリスト教による道徳の退廃
ニーチェは、当時のヨーロッパ社会に蔓延するキリスト教道徳を「奴隷道徳」と批判し、それが人間の弱体化と退廃をもたらしたと主張しました。キリスト教は、弱者、病者、貧者を保護することを美徳としていますが、ニーチェはこれを力への意志の否定と見なしました。彼は、キリスト教が人々に禁欲、自己犠牲、憐れみといった価値観を植え付けることで、人間の生命力や創造性を抑圧してきたと考えたのです。
ニーチェは、キリスト教の「隣人愛」という概念も批判しました。彼は、隣人愛は、実際には弱者が強者から搾取するための隠れ蓑に過ぎないと主張しました。真の愛は、相手を自分と同等の存在として認め、その成長を促すものであり、弱者を甘やかすことではないと考えたのです。
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近代社会におけるニヒリズムの蔓延
ニーチェは、キリスト教の衰退とともに、西洋社会がニヒリズムに陥ると予見しました。ニヒリズムとは、全ての価値観が崩壊し、人生には意味も目的もないという絶望的な状態を指します。彼は、神という絶対的な価値基準を失った現代人が、何を拠り所に生きていけばいいのか分からず、虚無感に苛まれていると考えたのです。
ニーチェは、ニヒリズムの兆候を、科学の進歩、民主主義の台頭、平等主義の広まりなどに見出しました。科学は、世界の神秘性を剥奪し、人間を機械的な存在に貶めました。民主主義は、大衆の凡庸さを助長し、真に優れた人間の出現を阻害するとニーチェは考えました。また、平等主義は、人間の能力や努力の差を無視し、凡庸なレベルへの同一化を招くと批判しました。
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超人への希求と自己実現の困難さ
ニーチェは、ニヒリズムを克服するために、「超人」という新たな理想像を提示しました。超人は、従来の道徳や価値観を超越し、自らの意志と創造性によって、新しい価値を創造する存在です。彼は、人間は超人を目指すことで、初めて真の自由と充実感を手に入れることができると考えました。
しかし、ニーチェは、超人の実現が容易ではないことも認識していました。超人は、既存の価値観や道徳と闘い、孤独や苦悩に耐えながら、自らの道を切り拓いていかなければなりません。ニーチェは、「この人を見よ」において、自らの思想を体現しようとした人物として、イエス・キリストではなく、古代ローマの軍人であり政治家であったユリウス・カエサルを挙げました。カエサルは、既存の秩序に挑戦し、自らの力でローマ帝国の礎を築いた人物であり、ニーチェにとって超人の雛形と言える存在だったのです。