## ドストエフスキーの悪霊の原点
ネチャーエフ事件とセルゲーイ・ネチャーエフ
「悪霊」の執筆に直接的な影響を与えたのは、1869年に起きたセルゲーイ・ネチャーエフによるイワン・イワノフ殺害事件、いわゆる「ネチャーエフ事件」です。ネチャーエフは、当時のロシアで活動していた革命家であり、過激な思想を持っていました。
ネチャーエフの思想と「革命家の指針」
ネチャーエフは「革命家の指針」という文書を著し、目的のためには手段を選ばない冷酷な革命論を展開しました。この文書は、作中で登場人物であるシガリョフが唱える思想のモデルとなっています。
「悪霊」におけるネチャーエフ事件の反映
ドストエフスキーは、ネチャーエフ事件を単なる殺人事件としてではなく、当時のロシア社会に蔓延するニヒリズムや革命思想の危険性を象徴する事件として捉えました。
スタヴローギンとネチャーエフ
作中の登場人物であるニコライ・スタヴローギンは、ネチャーエフをモデルにしたと言われています。スタヴローギンは、魅力的な才能を持ちながら、虚無主義に陥り、破滅的な行動をとる人物として描かれています。彼の思想や行動は、ネチャーエフの思想や行動と重なる部分が多く見られます。
ドストエフスキーの思想的背景
ドストエフスキー自身も若い頃に社会主義運動に関わった経験がありましたが、後にロシア正教に基づく保守的な思想に傾倒していきます。「悪霊」は、彼がネチャーエフ事件を通じて、当時のロシア社会における急進的な思想や革命運動に対して抱いた危機感や警鐘を表現した作品と言えるでしょう。