ドストエフスキーの地下室の手記の対極
ヴォルテール「カンディード」における楽天主義と理性崇拝
「地下室の手記」が、人間の心の暗部、ニヒリズム、疎外といったテーマを探求する一方、「カンディード」は、理性、楽観主義、進歩といった啓蒙主義の理想を風刺的に描き出す作品です。主人公カンディードは、師パン glossが説く「この世は可能な限り最善の世界である」という楽観主義を盲信し、数々の苦難に見舞われながらも、その信念を捨てようとしません。
対照的な主人公像:地下の人間 vs. カンディード
「地下室の手記」の主人公である「地下の人間」は、自己中心的で、被害妄想が強く、社会から疎外された存在として描かれています。彼は、自己嫌悪と自己憐憫に溺れ、理性的な思考や行動を放棄し、自身の内面世界に閉じこもっています。
一方、カンディードは、純粋で楽天的な性格の持ち主であり、世界を善意に満ちたものとして捉えています。彼は、パン glossの教えを絶対的な真実として受け入れ、現実の厳しさに直面しても、楽観的な視点を失いません。
世界観の対比:絶望と諦観 vs. 希望と進歩
「地下室の手記」は、19世紀ロシアの閉塞感漂う社会状況を背景に、人間の存在の不条理さ、自由意志の限界、理性に対する懐疑といったテーマを突きつけます。地下の人間の内面を通して描かれる世界は、絶望と諦観に満ちており、人間存在に対する根源的な問いを投げかけています。
対照的に、「カンディード」は、理性と科学の力でより良い世界を築き上げることが可能であるという啓蒙主義的な思想を反映しています。カンディードは、様々な苦難を経験しながらも、最終的には「自分の庭を耕す」という現実的な生き方を見出すことで、希望を見出します。