トルストイのクロイツェル・ソナタの思想的背景
トルストイの思想的転換
「クロイツェル・ソナタ」は、1880年代後半に書かれた作品であり、これはトルストイが大きな思想的転換を経た時期にあたります。それまでの彼は、「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」などの傑作を生み出した、ロシアを代表する文豪として、貴族社会の一員として生活していました。しかし、40代後半に差し掛かると、人生の意味や幸福、死の問題に深く悩むようになり、既存の社会秩序や宗教、道徳に疑問を抱き始めます。
新しい宗教観と道徳律の探求
トルストイは、聖書を独自に解釈し、キリストの教えを根底から見直すことで、新しい宗教観を築き上げようとしました。彼は、人間の自我や欲望を否定し、神への絶対的な服従と愛、そして隣人愛の実践こそが、真の幸福に繋がると説きました。この思想は、「トルストイ主義」と呼ばれ、当時のロシア社会に大きな影響を与えました。
禁欲主義と結婚生活への批判
トルストイは、新しい宗教観に基づき、禁欲的な生活を重視するようになりました。彼は、肉欲や物質的な欲望を悪と考え、徹底的な禁欲と自己犠牲を説きました。この禁欲主義は、結婚生活にも向けられ、「クロイツェル・ソナタ」では、男女間の性愛を、純粋な愛を阻害する罪深いものとして描いています。
当時の社会状況と作品との関連性
19世紀後半のロシアは、資本主義の進展や都市化の影響を受け、社会構造が大きく変化していました。伝統的な価値観が揺らぎ、家族や結婚に対する考え方も多様化していく中で、トルストイの作品は、当時の社会不安や道徳的な混乱を反映したものとして、多くの読者に衝撃を与えました。
芸術観の変化と作品への影響
トルストイは、自身の思想的転換に伴い、芸術の役割についても再定義を行いました。彼は、それまでの「芸術のための芸術」という考え方を否定し、芸術は道徳的な教化や社会の改善に役立つものでなければならないと主張しました。「クロイツェル・ソナタ」は、彼の新しい芸術観に基づき、当時の社会問題や人間の道徳について鋭く問いかける作品となっています。