トルストイのクロイツェル・ソナタに関連する歴史上の事件
1. 19世紀後半のロシアにおける結婚と恋愛観
「クロイツェル・ソナタ」は、19世紀後半のロシアを舞台に、結婚生活における愛と嫉妬、性、そして人間の罪深さを探求した作品です。当時のロシア社会では、結婚は家柄や経済状況を重視した家父長制的な制度であり、恋愛結婚は一部の上流階級を除いて一般的ではありませんでした。女性は男性に従属する存在とされ、離婚も困難でした。
トルストイは、こうした社会通念や結婚制度に対して、鋭い批判的な視点を作品に込めています。主人公ポズドヌイシェフは、妻への激しい嫉妬心から彼女を殺害してしまうのですが、その背景には、結婚に対する幻想と現実のギャップ、夫婦間のコミュニケーション不足、そして抑圧された性への衝動など、当時の結婚制度が抱える問題点が浮き彫りになっています。
2. 産児制限をめぐる論争
「クロイツェル・ソナタ」は、出版当時、避妊や中絶といった産児制限をテーマに含んでいたことから、激しい論争を巻き起こしました。当時のロシア正教会は、性行為は子孫繁栄のためにあると説き、産児制限を強く非難していました。
トルストイ自身も、後年には禁欲主義的な思想を抱くようになり、産児制限に反対する立場をとっていましたが、「クロイツェル・ソナタ」では、避妊の是非をめぐる夫婦間の対立を通して、女性の身体の権利や性における自己決定権といった問題提起を行っています。
3. ベートーヴェンの音楽の影響
「クロイツェル・ソナタ」というタイトルは、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第9番「クロイツェル」に由来しています。作中では、主人公夫婦が演奏するこの曲が、二人の関係を象徴する重要なモチーフとして登場します。
情熱的で激しい旋律で知られる「クロイツェル」は、愛と死、そして人間の情念を表現した作品として解釈されることが多く、トルストイは、この音楽を通して、人間の心の奥底に潜む愛憎や葛藤を描き出そうとしたと考えられています。
4. 19世紀後半のロシア文学における写実主義と心理主義
「クロイツェル・ソナタ」は、19世紀後半のロシア文学を代表する作品の一つとして、その写実主義的描写と深層心理の描写が高く評価されています。トルストイは、主人公の独白という形式を用いることで、人間の心の奥底に渦巻く嫉妬心や罪悪感、そして自己正当化といった複雑な感情を、赤裸々に描き出しました。
当時のロシア文学界では、ドストエフスキーやチェーホフといった作家たちも、人間の心理や内面世界を深く掘り下げた作品を発表しており、「クロイツェル・ソナタ」も、こうした文学的潮流の中で生まれた作品と言えるでしょう。