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デカルトの省察を深く理解するための背景知識

## デカルトの省察を深く理解するための背景知識

1.デカルトが生きた時代:激動の17世紀

17世紀ヨーロッパは、中世のスコラ哲学の権威が失墜し、新しい学問、新しい思想が次々と生まれる、まさに知的革命の時代でした。この時代の大きな特徴としては、次の3点が挙げられます。

まず、**ルネサンス**の影響が色濃く残っていました。ルネサンスは、古代ギリシャ・ローマの文化を見直し、人間中心の考え方を重視する運動でした。この人間中心主義は、神中心主義であった中世の考え方とは大きく異なり、人間の理性や経験を重視する近代的な思想を生み出す土壌となりました。デカルトもまた、人間の理性によって真理に到達できると考え、そのための方法を模索しました。

次に、**宗教改革**の影響も無視できません。16世紀にマルティン・ルターによって開始された宗教改革は、カトリック教会の権威を批判し、聖書の解釈を個人の理性に委ねるべきだと主張しました。これにより、ヨーロッパ社会はカトリックとプロテスタントに分裂し、激しい宗教対立が起こりました。デカルト自身はカトリック教徒でしたが、宗教的な権威に盲目的に従うのではなく、自らの理性によって真理を探求することを重視しました。

そして、**科学革命**が勃興した時代でもありました。コペルニクス、ガリレイ、ケプラーといった科学者たちは、従来の天動説に代わる地動説を唱え、観測と実験に基づく近代科学の方法を確立しました。デカルトも数学や物理学に深い関心を持ち、新しい科学的方法を哲学にも導入しようとしました。彼の有名な「方法的懐疑」は、確実な知識を得るために、あらゆる先入観や偏見を疑うことから始めるという方法ですが、これは科学革命における実証主義的な精神と通じるものがあります。

2.スコラ哲学とその限界

中世ヨーロッパの学問を支配していたのは、スコラ哲学でした。スコラ哲学は、アリストテレスの哲学をキリスト教神学と融合させたもので、神の存在証明や魂の不死といった問題を論じる体系的な哲学でした。しかし、17世紀に入ると、スコラ哲学は次のような点で批判されるようになりました。

まず、スコラ哲学は**抽象的な議論**に偏り、現実の世界から遊離しているという批判がありました。ルネサンス以降、人間は自然や社会と積極的に関わり、現実世界を理解しようとする動きが強まりましたが、スコラ哲学はそうした現実への関心を欠いていると見なされたのです。

また、スコラ哲学は**教会の権威**に依存しすぎており、自由な探究を阻害しているという批判もありました。宗教改革の影響で、教会の権威に対する批判が高まり、個人の理性に基づいた真理探求が求められるようになりました。しかし、スコラ哲学は教会の教義に反するような議論を禁じており、自由な思想の発展を妨げていたのです。

さらに、スコラ哲学は**アリストテレスの哲学**を絶対視しており、新しい科学的発見を無視しているという批判もありました。科学革命によって、アリストテレスの自然観は誤りであることが明らかになりましたが、スコラ哲学は依然としてアリストテレスの権威に固執し、新しい科学を受け入れようとしませんでした。

デカルトは、スコラ哲学のこのような限界を克服し、新しい時代精神に合致した哲学を構築しようとしました。彼は、確実な知識を得るために、スコラ哲学の権威に頼ることなく、自らの理性によって真理を探求することを決意したのです。

3.デカルトの方法的懐疑

デカルトは、確実な知識の基礎を確立するために、「方法的懐疑」という方法を採用しました。これは、あらゆる知識を疑い、絶対に疑うことのできないものだけを真理として認めるという方法です。デカルトは、感覚による知識、過去の経験に基づく知識、さらには数学的知識さえも疑います。

例えば、感覚は私たちに誤った情報を伝えることがあります。遠くのものは小さく見えたり、水中の棒は曲がってみえたりします。また、夢を見ているときは、現実と区別がつかないほど鮮明な感覚体験をすることがあります。このように、感覚は必ずしも信頼できるものではありません。

過去の経験も、必ずしも確実な知識を与えてくれるとは限りません。私たちは、過去の経験に基づいて未来を予測しますが、未来が必ずしも過去の繰り返しとは限りません。例えば、太陽がこれまで毎日昇ってきたからといって、明日も必ず昇るとは断言できません。

数学的知識は、感覚や経験に依存しないため、確実な知識のように思えます。しかし、デカルトは、悪霊によって私たちが騙されている可能性を考えます。悪霊は、私たちに誤った計算をさせたり、誤った証明を信じさせたりするかもしれません。

このように、デカルトはあらゆる知識を徹底的に疑い、疑うことのできないものだけを探し求めました。そして、彼が最終的に疑うことのできなかったのは、「自分が疑っている」という事実でした。疑うということは、考えるということであり、考えるということは、存在するということを意味します。こうしてデカルトは、「我思う、ゆえに我あり」という有名な命題に到達しました。

4.デカルトの合理主義

デカルトは、人間の理性は真理を認識する能力を持っていると考え、「合理主義」と呼ばれる立場をとりました。合理主義とは、人間の理性こそが知識の源泉であり、経験は理性を補助するものにすぎないと考える立場です。デカルトは、数学のように、理性だけで確実な知識を得ることができると考えました。

デカルトは、人間の理性には、「生得観念」と呼ばれる先天的な観念が備わっていると主張しました。生得観念とは、経験によらずに生まれつき心に備わっている観念のことです。例えば、「神」や「無限」といった観念は、経験から得られるものではなく、理性によってのみ認識できるとデカルトは考えました。

デカルトは、これらの生得観念を手がかりに、理性的な推論によって、神の存在や世界の存在を証明しようとしました。彼の哲学は、確実な知識の基礎を築き、科学や哲学の発展に貢献することを目指したものでした。

これらの背景知識を踏まえることで、デカルトの『省察』における議論をより深く理解することができます。デカルトがなぜあれほどまでに徹底的に懐疑したのか、なぜ理性に絶対的な信頼を置いたのか、彼の哲学が当時の知的状況においてどのような意味を持っていたのか、といったことを考える上で、これらの背景知識は不可欠です。

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