デカルトの省察の思考の枠組み
デカルトの存疑主義と「我思う、ゆえに我あり」
デカルトは、「省察」の中で、真理と思われていたことを体系的に疑うことから始めます。感覚的経験、数学的真理、そして神の存在さえも、悪意のある「欺く神」によって偽装されている可能性を考慮します。これは、「方法序説」で示した四つの規則の一つ、「完全に確実で疑う余地のないものだけを真理として受け入れる」ことを実践したものです。
しかし、徹底的に疑う中で、デカルトは一つの確実な真理を発見します。それは、自分が疑っているという事実、すなわち自分が「考えている」ということ自体です。たとえ自分の思考が全て欺かれていたとしても、「思考している」という事実だけは疑いようがありません。この気づきが、有名な「我思う、ゆえに我あり (Cogito, ergo sum)」という言葉に表されます。
明証性の概念と理性主義
デカルトは、「我思う、ゆえに我あり」を起点に、他の確実な知識を構築しようとします。そのために彼が重視したのは、「明証性」という概念です。明証性とは、疑う余地がないほど明白で確実な認識のことです。デカルトは、感覚や想像力は誤りに陥る可能性がある一方で、理性は正しい使い方をすれば明証的な認識に到達できると考えました。
この「理性こそが確実な認識の源泉である」という立場は、理性主義と呼ばれます。デカルトは理性主義の代表的な哲学者であり、「省察」の中で展開される彼の議論は、その後の西洋哲学に大きな影響を与えました。