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デカルトの省察の主題

## デカルトの省察の主題

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第一省察の内容

第一省察の主題は、**懐疑**です。デカルトは、これまで正しいと信じてきたことを、一度すべて疑ってみることから始めます。

デカルトが疑う対象は、大きく分けて二つあります。

* **感覚**
* **理性**

まず、デカルトは、視覚や聴覚などの感覚は、しばしば我々を欺くため、完全に信頼することはできないと主張します。例えば、遠くから見ると丸く見える塔も、近くで見ると四角形であることがあります。

次に、デカルトは、2+3=5 や 三角形の内角の和は180度であるといった、数学的真理や幾何学的真理でさえも疑ってみせます。なぜなら、これらの真理は、すべて我々の理性によって認識されるものですが、もしも我々を欺く邪悪な霊が存在し、我々の理性を狂わせているとしたら、これらの真理も疑わしいものとなってしまうからです。

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第二省察の内容

第二省察では、第一省察における徹底的な懐疑の果てに、**「我思う、ゆえに我あり」**という有名な命題に到達します。 これは、たとえあらゆるものが疑わしいとしても、「今、ここで自分が疑っている」という事実だけは疑いようがない、という確実な真理です。

この「我思う、ゆえに我あり」という命題は、デカルト哲学の基礎となる重要なテーゼであり、以降の議論の出発点となります。

また、第二省察では、この「我思う」という活動を通して、自分が何であるかを考察し、「私は、身体とは独立に存在する精神である」という結論を導き出します。

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第三省察の内容

第三省察では、**神の存在証明**が主要なテーマとなります。

デカルトは、神は完全な存在であり、完全な存在は必然的に存在するという論理を用いて、神の存在を証明しようと試みます。

また、デカルトは、自身の心に神という観念があること自体が、神の存在の証明になると主張します。なぜなら、有限な存在である人間は、無限な存在である神の観念を、自分自身で作り出すことはできないからです。

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第四省察の内容

第四省察では、**誤謬の可能性と神の非欺瞞性**について考察します。

デカルトは、人間は誤謬を犯す存在であることを認めます。しかし、神は完全な存在であり、したがって欺くようなことはしない、と主張します。

では、なぜ人間は誤謬を犯すのでしょうか。デカルトは、人間の誤謬は、人間の意志の無限性と、認識能力の有限性との間の不均衡によって生じると説明します。 つまり、人間は、自分の認識能力を超えた事柄についても判断を下そうとしてしまうため、誤謬を犯してしまうのです。

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第五省察の内容

第五省察では、再び**神の存在証明**が扱われます。

今回は、第三省察で展開された議論とは異なる論証が展開されます。デカルトは、完全な存在である神は、その本性上、必然的に存在すると主張します。

また、デカルトは、数学的真理や幾何学的真理の永遠性と不変性についても考察し、これらの真理が神によって保証されていると結論づけます。

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第六省察の内容

第六省察では、**物質世界の存在**と、**心身二元論**が主要なテーマとなります。

デカルトは、感覚はしばしば我々を欺くものであることを認めつつも、物質世界は実在すると主張します。そして、物質世界は、広がりを持つという特徴を持つとされます。

また、デカルトは、心と身体はそれぞれ異なる実体であり、心は身体と相互作用しながら存在すると主張します。

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