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ディルタイの精神科学序説から学ぶ時代性

## ディルタイの精神科学序説から学ぶ時代性

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生の表現としての歴史

ディルタイにとって、人間は自然の一部であると同時に、自然を超越した精神を持つ存在です。自然科学が客観的な法則に基づいて自然を理解しようとするのに対し、精神科学は、人間精神の働きである「生」を理解することを目指します。

ディルタイは、「生」を「体験」、「表現」、「理解」という三つのカテゴリーで捉えました。私たちは世界を「体験」し、その体験を「表現」し、他者の表現を「理解」することで、精神的な世界を共有し、文化を創造します。

歴史はこのような「生の表現」の積み重ねとして捉えられます。彼は、特定の時代や社会に生きる人々は、共通の「時代意識」や「生活感」を共有していると主張しました。この時代意識は、個々の表現の根底に流れ、芸術作品、文学、哲学、制度、習慣など、様々な形で表現されます。

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歴史的理解の重要性

ディルタイは、過去の時代の人々の「生」を理解するためには、「客観化」ではなく「追体験」が必要だと考えました。過去の時代の人々の「生」を理解するためには、単に歴史的事実を客観的に知るだけでは不十分です。

なぜなら、歴史的事実はあくまで「生の表現」の結果であり、その背後にある「生」そのものを捉えられていないからです。ディルタイは、過去の時代の人々の「生」を理解するためには、彼らの残した「生の表現」を通して、彼らの感情、思考、意志などを追体験することが重要だと考えました。

この追体験を通して、私たちは、現代とは異なる時代や文化に生きていた人々の考え方や感じ方を理解し、現代社会の価値観や常識を相対化することができます。

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