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ダンテの天国篇の読者

ダンテの天国篇の読者

ダンテの意図した読者

ダンテが「神曲」を執筆した正確な時期は不明ですが、1308年から1321年の間であったと考えられています。「神曲」は3部構成の長編叙事詩であり、「天国篇」はその最後の部分を成します。ダンテは、フィレンツェをはじめとする当時のイタリアの政治や社会状況を痛烈に批判していました。そのため、彼はフィレンツェから追放され、二度と故郷に戻ることはありませんでした。「神曲」は、ダンテ自身の亡命や魂の救済の旅を allegory (寓意)として描いた作品であり、当時の読者もそのことを理解していました。

「天国篇」の内容

「天国篇」は、「地獄篇」「煉獄篇」に続く「神曲」の最終章です。この章では、ダンテがベアトリーチェの案内で天国を旅する様子が描かれています。天国は、月天、水星天、金星天など、九つの天から構成されています。ダンテは各天で、歴史上の聖人や偉人達と出会い、神学や哲学について議論を交わします。最終的にダンテは、至高天において神と対面し、至福の境地へと到達します。

当時の読者層

「神曲」は、当時の一般大衆向けに書かれた作品ではありませんでした。ダンテは、ラテン語ではなく、当時のイタリアで話されていたトスカーナ語を用いて「神曲」を執筆しました。これは、より多くの一般の人々に作品を届けるためではなく、文学作品としてトスカーナ語の地位を高めようという意図があったと考えられています。「神曲」は、当時の知識人や貴族階級の間で広く読まれ、高い評価を得ました。

「天国篇」の影響

「天国篇」は、「神曲」の一部として、西洋文学史上に燦然と輝く傑作の一つとされています。ダンテの死後も、「神曲」は多くの言語に翻訳され、世界中で読み継がれてきました。この作品は、文学、美術、音楽など、様々な分野に大きな影響を与え続けています。

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