Skip to content Skip to footer

スミスの道徳感情論の批評

## スミスの道徳感情論の批評

###

感情の役割

アダム・スミスの道徳感情論は、人間の道徳性の基礎を感情、特に「共感」に置くことで、当時の道徳哲学に大きな影響を与えました。しかし、感情を重視したスミスの立場は、様々な批判も呼び起こしました。

一部の批評家は、感情は主観的で移ろいやすいものであるため、道徳の確固たる基礎となりえないと主張しました。彼らは、普遍的で客観的な道徳基準は、理性に基づいてのみ確立できると考えました。例えば、イマヌエル・カントは、道徳的行為は感情ではなく義務感から生じるべきだと主張し、スミスの感情に基づく道徳観を批判しました。

また、感情は文化や個人的経験によって大きく異なるため、共感に基づく道徳は相対主義に陥り、普遍的な道徳原則を導き出すことができないという批判もあります。同じ状況でも、ある文化では共感を呼ぶ行動が、別の文化では非難される可能性があります。

###

「公平な観察者」の概念

スミスは、「公平な観察者」の概念を通して、共感の主観性を克服しようと試みました。彼は、私たちは自分の行動を客観的に判断できる想像上の「公平な観察者」の視点から評価することで、偏った感情を克服できると考えました。

しかし、「公平な観察者」の概念も批判の対象となりました。最大の批判は、「公平な観察者」が具体的に誰なのか、どのようにしてその視点を獲得できるのかが明確ではないという点です。スミスは「公平な観察者」を理想化された存在として提示していますが、その判断基準や価値観の根拠を示すことはできていません。

また、「公平な観察者」の視点は、社会通念や偏見の影響を受けやすいという指摘もあります。社会によって「公平」とされる基準は異なるため、「公平な観察者」の判断が真に客観的であるとは限りません。

###

利己心と共感の両立

スミスは、『国富論』において人間の経済活動を利己心によって説明しており、道徳感情論で説く共感に基づく道徳との間に矛盾があるという指摘があります。

スミスは、利己心と共感は人間の異なる側面であり、社会秩序の維持には両方が必要であると考えていました。しかし、利己心と共感がどのように調和し、社会においてどのように機能するのかについては十分に説明されていません。

これらの批判は、スミスの道徳感情論が抱える問題点として、今日でも議論の対象となっています。

Amazonで詳細を見る

Leave a comment

0.0/5