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スタンダードールの恋愛論の対極

## スタンダードールの恋愛論の対極

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ジェーン・オースティンの『高慢と偏見』における恋愛の理性と社会

スタンダールの『恋愛論』が、情熱的な恋愛の機微や自己投影の心理を鋭く描くのに対し、ジェーン・オースティンの『高慢と偏見』は、恋愛における理性と社会的な思惑を巧みに織り交ぜた作品です。

『高慢と偏見』では、主人公エリザベス・ベネットと、裕福な紳士フィッツウィリアム・ダーシーの関係を中心に物語が展開されます。最初の出会いでお互いに抱いた偏見や、周囲の人々を巻き込んだ騒動を通して、二人は恋愛感情を育んでいきます。しかし、エリザベスはダーシーの傲慢な態度や、友人に対する不誠実な行動に反感を抱き、彼のプロポーズをきっぱりと断ります。

このエリザベスの決断は、当時の社会通念からすると非常に大胆なものでした。当時の女性にとって、経済的な安定は結婚に大きく依存しており、ダーシーのような裕福な男性からの求婚を断ることは、社会的にも経済的にも大きなリスクを伴いました。それでもエリザベスは、自分の感情と信念に基づいて行動し、打算的な結婚よりも、真実の愛情を選び取ります。

『高慢と偏見』は、恋愛における情熱や衝動よりも、理性的な判断や社会的な責任を重視する姿勢を描いています。エリザベスとダーシーは、お互いへの偏見を捨て、相手の本質を理解することで、最終的に結ばれます。この過程で、彼らは社会的な制約や周囲の期待にも向き合いながら、自らの感情と折り合いをつけようとします。

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パスカルの『パンセ』における人間の悲惨と神の愛

ブレーズ・パスカルの『パンセ』は、人間存在の悲惨さと、神の愛による救済を対比的に論じた哲学的断章集です。恋愛は、人間の悲惨さを象徴する要素の一つとして扱われています。

パスカルは、人間を「考える葦」と表現し、理性を持つがゆえに、自身の有限性や死の不可避性に苦悩する存在として描きます。恋愛は、この苦悩から一時的に逃れようとする「気晴らし」に過ぎないとされます。恋愛感情は、人間の虚栄心や欲望を満たすための幻想であり、真の幸福には繋がらないとパスカルは断言します。

『パンセ』では、真の幸福は、神への信仰と愛によってのみもたらされると説かれます。神への愛は、人間の有限性を超えた、永遠かつ不変の愛です。恋愛に見られるような、移ろいやすく、依存的な感情とは一線を画すものとして提示されます。

パスカルの思想は、スタンダールの恋愛観とは全く異なる視点を与えてくれます。スタンダールが恋愛を人間の生の肯定的なエネルギーと捉えているのに対し、パスカルは、恋愛を含めたあらゆる現世的な欲望を、人間の悲惨さを浮き彫りにするものとして捉えているのです。

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