ジスモンディの政治経済学新原理の原点
ジスモンディの生い立ちと知的背景
ジャン・シャルル・レオナール・シモンド・ド・シスモンディ(1773-1842)は、ジュネーブに生まれた歴史家、経済学者、政治思想家である。裕福な銀行家の家に生まれ、古典的な教育を受けた。フランス革命期には家族と共にイギリスへ亡命し、そこでイギリスの政治経済体制や社会状況を目の当たりにした。この経験は、後の彼の思想に大きな影響を与えることとなる。
アダム・スミスへの批判と独自の経済理論
シスモンディは、当初アダム・スミスの自由放任主義経済学を支持していた。しかし、産業革命が進むにつれてイギリス社会に貧富の格差や失業などの社会問題が深刻化していくのを目の当たりにし、自由競争や市場メカニズムへの疑問を深めていった。
彼は、スミスの理論が前提とする「経済的自律性」や「調和」という概念を批判し、現実の資本主義経済には、生産過剰、恐慌、失業といった問題が内在すると主張した。そして、国家による積極的な介入の必要性を説き、労働者の生活水準向上、富の再分配、社会福祉の充実などを訴えた。
歴史的視点からの批判
シスモンディは、経済現象を歴史的な視点から捉え、社会構造や制度、道徳観などとの関連性を重視した。彼は、経済学を単なる抽象的な理論ではなく、現実の社会における人間の行動を理解するための学問として捉えていたと言えるだろう。
彼の歴史観は、過去の文明の興亡を分析することで、現代社会の課題や将来展望を見出そうとするものであった。彼は、産業革命がもたらす経済成長の影で、伝統的な社会秩序や共同体の絆が崩壊しつつあることに警鐘を鳴らした。