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シェーラーの宇宙における人間の位置の光と影

## シェーラーの宇宙における人間の位置の光と影

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人間の特権的な地位:精神の出現

シェーラーは、生命をもたない物質的な世界から植物、動物、そして人間へと至る存在の階層秩序を「存在の層位」として捉え、人間をその頂点に位置づけました。 植物は、物質にはない「有機的な衝動」を持つことで、周囲の環境に「開かれた存在」として現れます。 動物は、さらに「感覚衝動」を獲得することで、世界を「意識的に体験」し、より能動的に環境と関わりを持つことができます。

そして、人間は動物を超える「精神」を持つことで、他のいかなる存在とも異なる特権的な地位を獲得します。 精神は、対象を「客観的に把握」することを可能にし、時間や空間を超越した「永遠の価値」を認識することを可能にします。 これは、物質や生命の力に縛られた存在には不可能なことであり、人間存在を他のあらゆる存在から峻別するものです。

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人間の有限性と不安:世界内存在の苦悩

一方で、シェーラーは人間存在の有限性と、そこから生じる不安や苦悩にも目を向けます。 人間は、精神を持つがゆえに、自身の有限性、つまり死や限界を意識せざるを得ません。 物質や生命の力に縛られている存在は、自身の有限性を意識することができないため、この苦悩から逃れることができます。 しかし、精神は人間に、世界の中に「投げ込まれた存在」としての不安と、「本来あるべき自己」と「現実の自己」との間のギャップに苦悩することを強いるのです。

さらに、シェーラーは「他者」の存在にも注目します。 人間は、他者の喜びや苦しみを、あたかも自分のことのように感じ取ることができます。 これは、他者と「共感」し、「共に世界を生きている」ことを実感させてくれますが、同時に、他者の苦しみや死によって、自らの無力さや有限性を突きつけられることにもなります。

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