## シェイクスピアのリチャード二世の話法
シェイクスピアの戯曲「リチャード二世」は、登場人物の話し方が多岐にわたり、それぞれがその立場や心情を反映している点が特徴的です。
この作品では、修辞技法や韻律を駆使した高度な言語表現から、日常的な会話まで、幅広いバリエーションの言語が用いられています。
まず、リチャード二世自身の言葉遣いは、彼の自己中心的で非現実的な性格をよく表しています。
彼はしばしば、自らを神に選ばれし王であると信じて疑わず、比喩や隠喩を多用した華麗な言葉で自らの境遇を嘆きます。例えば、追放の報せを受けた際には、自身の苦悩を演劇に見立てて、「こうして、この世界という広大な舞台で、私は自分の役目を演じ終えたのだ」と独白します。
一方、対照的なのが、リチャードの従兄弟であり後に王位を奪うことになる、ヘンリー・ボリングブルックの言葉遣いです。
ボリングブルックは、無駄な装飾を排した直接的で力強い言葉を用いる人物として描かれます。彼の言葉は、雄弁というよりもむしろ実際的で、行動力と決断力を象徴しています。
さらに、「リチャード二世」では、散文と韻文が使い分けられている点も注目すべき点です。
一般的に、高貴な身分の登場人物や重要な場面では韻文が用いられ、それ以外の場面では散文が用いられます。 しかし、この作品では、リチャードが自身の権力の失墜と共に韻文から散文に移行していく様子が描かれており、彼の精神的な衰えを象徴的に示しています。
このように、「リチャード二世」における言葉遣いは、登場人物の性格描写や劇的な効果を高めるために巧みに利用されています。