## シェイクスピアのトロイラスとクレシダから学ぶ時代性
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愛と戦争の虚無感
シェイクスピアの「トロイラスとクレシダ」は、トロイア戦争を背景に、若きトロイアの王子トロイラスと、ギリシャ側のクレシダの悲恋を描いた作品です。しかし、単なる恋愛劇ではなく、戦争の愚かさや人間の欲望、名誉といった普遍的なテーマを、シニカルかつ風刺的に描き出しています。
作品全体を覆う虚無感は、エリザベス朝末期の不安定な社会情勢や、ルネサンス期の人間中心主義への懐疑と深く結びついています。当時のイギリスは、スペインとの戦争や宗教改革の影響を受け、社会不安や価値観の揺らぎが深刻化していました。人々は、従来の秩序や理想に疑問を抱き、現実の厳しさに直面していたのです。
トロイラスとクレシダの恋愛も、戦争という大きなうねりの中で翻弄され、悲劇的な結末を迎えます。彼らの愛は、戦場という非情な現実や、周囲の人々の策略によって、純粋さを失い、最終的には裏切りと別れによって終焉を迎えます。これは、当時の社会における、愛や名誉といった価値観の相対化、そして人間の弱さや脆さを象徴していると言えるでしょう。
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英雄の失墜と人間の不完全性
「トロイラスとクレシダ」では、ホメロス叙事詩に登場する英雄たちが、従来のイメージとは大きく異なる姿で描かれています。例えば、ギリシャ軍の総大将アガメムノンは、優柔不断で指導力に欠ける人物として、また、勇敢なはずのアキレウスは、傲慢で名誉欲に取り憑かれた卑劣な人物として描かれています。
これは、シェイクスピアが、英雄崇拝や理想主義的な歴史観に疑問を投げかけ、人間の本質的な不完全さを浮き彫りにしようとしたためと考えられます。ルネサンス期に高まった人間中心主義は、一方で人間の限界や罪深さへの認識も深めました。シェイクスピアは、英雄像を解体することで、人間存在の複雑さや矛盾を表現しようとしたのでしょう。
さらに、劇中には、戦争の意義や英雄の武勇に対する皮肉や風刺が随所に散りばめられています。トロイア戦争は、ヘレンという一人の女性を巡る争いという、取るに足らない動機から始まったとされ、英雄たちの戦いは、自己顕示欲や名誉欲に駆られた虚しい行為として描かれています。
こうした描写は、戦争の残酷さや無意味さを訴えるとともに、盲目的な愛国心や英雄崇拝への警鐘ともなっています。シェイクスピアは、「トロイラスとクレシダ」を通して、人間の理想と現実のギャップを鋭く描き出し、当時の社会が抱える問題や矛盾を浮き彫りにしたのです。