## シェイエスの『第三身分とは何か』とフランス革命
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1789 年フランス革命の勃発
1789 年にフランスで勃発したフランス革命は、それまでのヨーロッパの政治体制と社会構造を根底から覆す、歴史的な大事件でした。絶対王政の下、特権階級であった聖職者(第一身分)と貴族(第二身分)に対し、圧倒的多数を占める平民(第三身分)は、重い税負担や政治への不参加など、様々な不平等に苦しんでいました。
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アンシャン・レジームへの不満の高まり
こうした中、18 世紀後半のフランスでは、啓蒙思想の普及やアメリカ独立戦争の影響を受け、自由と平等を求める機運が高まっていました。経済状況の悪化も、人々の不満を増幅させる一因となりました。国民議会招集の動きが加速する中、1788 年末、国王ルイ16 世は三部会の招集を決定します。これは、それぞれの身分の代表者を集めて課税について審議する、1614 年以来となる会議でした。
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シェイエスのパンフレット『第三身分とは何か』
こうした状況下で、1789 年 1 月に出版されたのが、聖職者であり政治家でもあったエマニュエル=ジョゼフ・シェイエスのパンフレット『第三身分とは何か』でした。シェイエスはこの中で、次のような過激な主張を展開しました。
* 第三身分こそがフランス国民を構成するものであり、国家に不可欠な存在である。
* 特権を持つ第一身分と第二身分は、国民全体にとって何の役にも立っていない。
* 第三身分は、自分たちの代表者を通じてのみ政治に参加すべきである。
このパンフレットは、第三身分の間に急速に広まり、大きな反響を呼び起こしました。人々は、シェイエスの主張に共感し、自分たちの置かれた状況に疑問を抱き始めます。
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国民議会結成とバスティーユ襲撃
三部会は 1789 年 5 月に開催されましたが、議決方法などを巡って紛糾します。第三身分の代表たちは、身分ごとにではなく、人数で代表者を決め、投票も一人一票で行うことを要求しました。そして 6 月、自分たちこそが国民を代表するものであると宣言し、「国民議会」を結成します。
この動きに対し、国王は武力行使をちらつかせながら圧力をかけます。しかし、パリ市民は 7 月 14 日、武器弾薬を求めてバスティーユ牢獄を襲撃。これがフランス革命の開始の合図となりました。
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『第三身分とは何か』の影響
シェイエスの『第三身分とは何か』は、フランス革命の直接的なきっかけとなったわけではありません。しかし、このパンフレットは、フランス社会に蔓延していた身分制度に対する人々の不満を明確化し、革命への気運を高める上で大きな役割を果たしました。シェイエスの主張は、革命のスローガンとなった「自由、平等、友愛」の精神を先取りするものであり、その後のフランス社会の変革に多大な影響を与えたと言えるでしょう。