サルトルの存在と無の選択
サルトルにおける「存在」と「無」
ジャン=ポール・サルトルは、20世紀を代表する哲学者の一人であり、実存主義の中心的人物として知られています。彼の主著である『存在と無』 (1943年) において、サルトルは人間の存在の本質について深く考察し、「存在」と「無」という対概念を用いて分析しています。
意識の「無」としての特性
サルトルによれば、人間の意識は、それ自体としては「無」であるとされます。これは、意識が常に何かに向かっており、それ自身の中身を持たない、つまり「空虚」であることを意味します。 例えば、目の前にりんごがあるとします。私たちはりんごそのものではなく、「赤い」「丸い」といったりんごの性質を意識します。
重要なのは、私たちが意識する対象は、私たち自身によって選ばれているということです。サルトルは、意識は常に「志向性」を持っていると主張します。 意識は、対象を選択し、それに意味を与えることで、世界と関わりを持つのです。
「存在」と「本質」の逆転
伝統的な哲学では、「本質」が「存在」に先行すると考えられてきました。 例えば、ナイフであれば、「物を切る」という本質があり、その本質を実現するためにナイフは存在すると考えられてきました。
しかしサルトルは、人間においては「存在」が「本質」に先行すると主張します。 人間は、まず何の目的も意味も持たずに、この世界に投げ込まれている。 そして、自らの行動や選択を通して、自らの本質を創造していくのだとされます。
選択と責任
意識の「無」としての特性は、人間に自由をもたらすと同時に、大きな責任を課すことになります。 なぜなら、私たちは、自分の人生をどのように生きるか、どのような人間になるかを、自ら選択しなければならないからです。
サルトルは、この選択の自由と責任を強調し、人間は「自分の選択によって、自分自身だけでなく、すべての人間にとっての価値を選択している」と主張しました。