サルトルの存在と無の話法
現象学的記述と超越的還元
サルトルの主著『存在と無』は、現象学的方法を用いて人間の意識の構造を分析し、そこから存在の意味を探求する哲学書です。サルトルは、フッサールの現象学を継承しつつも、それを独自の視点で発展させています。
フッサールの現象学における重要な方法として、「超越論的還元」があります。これは、我々が日常的に当然視している先入観や偏見を排除し、「物自体」ではなく「意識に現れる現象」そのものを純粋に記述しようとする方法です。サルトルもまた、この還元の手続きを採用し、意識の構造を明らかにしようと試みます。
意識の虚無性と自由
サルトルは、意識を特徴づけるものとして、「虚無性(néant)」という概念を提示します。彼によれば、意識はそれ自体としては何ものでもなく、常に何かに「向かう」ことによってのみ存在しえます。意識は、対象を意識することによって初めて成立し、それ自身は空虚な場として存在するのです。
この意識の虚無性こそが、人間の自由の根拠となります。なぜなら、意識は何ものにも規定されておらず、常に自分自身を創造していくことができるからです。人間は、自分の本質を自分で選択し、創造していくことができる存在、すなわち「自由であるために運命づけられている」存在なのです。
実存は本質に先立つ
サルトルは、「実存は本質に先立つ」という有名なテーゼを掲げます。これは、人間にはあらかじめ定められた本質や目的は存在せず、まず世界の中に「投げ込まれた」実存として存在し、その後に自らの選択と行動によって本質を創造していくことを意味します。
このテーゼは、伝統的な形而上学への批判でもあります。伝統的な形而上学では、人間を含むすべての存在には、あらかじめ定められた本質や目的があるとされてきました。しかし、サルトルは、人間は自由な存在であるがゆえに、自らの本質を自ら創造していくのだと主張します。
他者との関係とアンガージュマン
サルトルは、他者の存在が自己の意識に決定的な影響を与えることを指摘します。他者は、私の意識を「対象化」し、私を「見られる存在」として意識させるからです。
他者の視線は、私に羞恥心や誇りといった感情を呼び起こし、私の自由を脅かすものでもあります。しかし同時に、他者との関係は、私自身の存在を意識させ、世界における自分の立場を相対化させてくれるものでもあります。
サルトルは、このような他者との関係の中で、人間は「アンガージュマン(engagement)」、すなわち社会や歴史への積極的な関与を通じて、自己の自由を実現していくべきだと主張します。