## サルトルの存在と無の構成
### 序論:
探求の道すじ
サルトルの主著『存在と無』は、「序論:探求の道すじ」から始まります。この序論において、サルトルは自らの哲学的立場である現象学的オントロジーを、フッサールの現象学を出発点としつつも、ハイデガーの存在論を取り入れながら展開していくことを宣言します。そして、伝統的な形而上学が陥ってきた存在論的問いの誤謬を批判し、意識と現象の関係を問い直すことで、存在の謎に迫ろうとする姿勢を明確に打ち出しています。
### 第一部:
意識の無
第一部「意識の無」は、五つの章から構成されています。
* **第一章 意識の起源としての無**
この章では、意識はそれ自体としては何ものでもなく、常に「~の意識」として対象を志向するものであることが論じられます。サルトルは、意識のこの「無化作用」を「ネアン」と呼び、意識の本質的な特徴として捉え直します。
* **第二章 無化作用と想像**
ここでは、想像作用における意識の働きが分析されます。想像においても意識は対象を「無化」し、現実とは異なる「不在」の世界を作り出すことが示されます。
* **第三章 超越的対象としての自我の構成**
サルトルは、デカルト的な「我思う、ゆえに我あり」を批判的に検討し、自我もまた意識の対象として構成されることを主張します。自我は、意識の反省を通して後付け的に把握されるものであり、意識の根底にあらかじめ存在するものではないとされます。
* **第四章 対象の無化作用と質料の顕現**
この章では、意識の「無化作用」を通して、世界が質料として立ち現れてくる過程が分析されます。質料は、意識の否定的な働きによってはじめて現れるものであり、それ自体としては存在しないとされます。
* **第五章 存在と作用――存在論と形而上学の基礎づけ**
第一部の締めくくりとして、意識の「無化作用」を基盤とした存在論の構築が試みられます。サルトルは、意識の存在様式を「対自存在」と呼び、世界内における人間の存在のあり方を規定しようとします。
### 第二部:
対自存在
第二部「対自存在」は、四つの章から構成されています。
* **第一章 身体**
この章では、人間の身体が、単なる物質的存在ではなく、意識と世界を媒介する存在として分析されます。サルトルは、身体を「対自存在」の具体的な現れとして捉え、その構造と機能を詳細に検討します。
* **第二章 他者の存在**
ここでは、他者の存在が、自己の意識にとって不可欠な要素であることが論じられます。サルトルは、「見られる存在」としての自己の経験を通して、他者の存在が自己の自由を脅かす存在であると同時に、自己を客観的に認識することを可能にする存在でもあるという複雑な関係性を明らかにします。
* **第三章 行動、感情、責任**
この章では、人間の行動、感情、責任が、意識の自由な選択に基づくものであることが強調されます。サルトルは、人間は常に状況の中で選択を迫られており、その選択を通して自己を創造していく存在であると主張します。
* **第四章 自由への転換を待つ資格においての人間**
第二部の締めくくりとして、サルトルは、人間存在の可能性と限界について考察します。人間は、自由な存在であると同時に、有限な存在でもあります。サルトルは、この両義的な人間の条件を「自由への転換を待つ資格」と表現し、絶望と希望の狭間で生きる人間の姿を描き出します。
### 第三部:
存在と無:考察
第三部「存在と無:考察」は、二つの章から構成されています。
* **第一章 存在することと所有すること**
この章では、人間の存在様式が、所有や支配といった概念では捉えきれないものであることが論じられます。サルトルは、「所有」という概念を批判的に検討し、真の人間的な関係は、所有を超えた自由な関係であると主張します。
* **第二章 行為と価値:自由の倫理的含み**
第三部の締めくくりとして、サルトルは、人間の自由と責任の問題を倫理的な観点から考察します。サルトルは、絶対的な価値基準が存在しない世界において、人間は自らの行動を通して価値を創造していく責任を負っていると主張します。
『存在と無』は、以上のような構成を通して、人間の意識、自由、存在の意味を根源的に問い直す、20世紀を代表する哲学書の一つとして、現代思想に大きな影響を与え続けています。