コペルニクスの天体の回転についてと人間
コペルニクス以前の世界観
古代ギリシャ時代から中世ヨーロッパにかけて、地球が宇宙の中心にあり、太陽や月、星などが地球の周りを回っているという「天動説」が信じられていました。この考え方は、アリストテレスの宇宙論やプトレマイオスの天文学体系によって支持され、キリスト教の世界観とも結びついていました。人々は、自分たちが宇宙の中心に住む特別な存在だと考えていました。
コペルニクスの地動説
16世紀、ポーランドの天文学者ニコラウス・コペルニクスは、長年の観測と計算に基づき、「地動説」を提唱しました。これは、地球が太陽の周りを回っているという、当時としては革命的な考え方でした。コペルニクスは、地球が動いているにもかかわらず、私たちがそれを実感できない理由を、地球の自転と公転の動きが滑らかで、かつ他の天体も一緒に動いているためだと説明しました。
「コペルニクスの天体の回転について」
コペルニクスは、自身の理論を「De Revolutionibus Orbium Coelestium」(邦題:「天球の回転について」)という書物にまとめました。この本は、1543年にコペルニクスが亡くなる直前に出版されました。コペルニクスは、教会との対立を避けるため、この本を教皇パウルス3世に献呈し、地動説はあくまでも計算上の仮説であると述べています。
人間への影響
コペルニクスの地動説は、人間の宇宙観に大きな変革をもたらしました。地球が宇宙の中心ではなく、他の惑星と同じように太陽の周りを回っているという事実は、人間中心主義的な世界観に大きな衝撃を与えました。しかし、コペルニクスの理論は、すぐに受け入れられたわけではありませんでした。教会は、聖書の記述と矛盾するとして、地動説を異端としました。
その後の展開
コペルニクスの地動説は、その後、ガリレオ・ガリレイやヨハネス・ケプラー、アイザック・ニュートンといった科学者たちによって、観測的に裏付けられ、発展させられていきました。特に、ガリレオは、自作の望遠鏡を使って木星の衛星を発見し、すべての天体が地球の周りを回っているわけではないことを証明しました。