ゲーテの若きウェルテルの悩みの原点
ゲーテ自身の失恋体験
ゲーテは、1772年の秋から1773年の夏にかけて、帝国高等裁判所のあるヴェッツラーに法律研修生として滞在していました。そこで、彼は、裁判官カール・ヴィルヘルム・フォン・ケストナーの婚約者であるシャルロッテ・ブッフと恋に落ちます。しかし、シャルロッテはゲーテの友人であるケストナーと婚約しており、ゲーテの恋は叶うことはありませんでした。
カール・ヴィルヘルム・イェルザレムの自殺
ゲーテはヴェッツラー時代に、同じく法律を学ぶ青年カール・ヴィルヘルム・イェルザレムと親交を深めました。イェルザレムは、ゲーテと同様に人妻への叶わぬ恋に苦しんでおり、1774年10月にピストル自殺を遂げました。ゲーテはこの事件に大きな衝撃を受け、イェルザレムの死からわずか数ヶ月後に「若きウェルテルの悩み」の執筆を開始しました。
当時の「感傷主義」の影響
18世紀後半のドイツ文学界では、「感傷主義」と呼ばれる文学運動が興隆していました。感傷主義は、人間の感情や内面性を重視し、自然への愛情や郷愁、失恋の苦しみなどをテーマとした作品を多く生み出しました。ゲーテ自身も感傷主義の影響を受けており、「若きウェルテルの悩み」にも、感傷主義的なテーマや表現が見られます。