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ケルゼンの純粋法学と言語

## ケルゼンの純粋法学と言語

純粋法学の目的

ハンス・ケルゼンが提唱した「純粋法学」は、法学を一切のイデオロギーや政治的立場、道徳的判断から切り離し、純粋に法的規範のみを対象とした「純粋な」法学として確立することを目的としています。これは、法学が法以外の要素、例えば、社会学、歴史学、倫理学、政治学といった要素と混同されることで、法そのものの客観的な認識が歪められるとケルゼンは考えたためです。

言語と規範性

ケルゼンは、法を「規範」の体系と捉え、その規範性を明らかにすることが純粋法学の中心的な課題だと考えました。そして、この規範性を担うものとして「言語」に着目しました。

法は、当然ながら言語によって表現されます。しかし、ケルゼンは、法言語は単なる記述的なものではなく、特定の行為を命じたり、禁止したり、許可したりする「規範的な意味」を持つ点に注目しました。例えば、「殺人は法律で禁じられている」という文は、単に事実を述べているのではなく、「殺人は行ってはならない」という規範を表現しています。

法命題と事実命題

ケルゼンは、法言語が持つこの規範性を明確にするために、法命題と事実命題を厳密に区別しました。

* **事実命題**: 現実の世界で起こった出来事や状態を記述した命題。「Aさんは車を運転していた」といった命題がこれに当たります。事実命題は、その真偽が客観的に検証可能です。

* **法命題**: 法的規範を表現した命題。「Aさんは交通違反で罰せられるべきである」といった命題がこれに当たります。法命題は、それが依拠する法的規範が存在するかどうかによって、その妥当性が判断されます。

「である」と「すべきである」

ケルゼンは、法命題と事実命題の違いを、「である(sein)」と「すべきである(sollen)」という言葉を用いて説明しました。事実命題は「である」で表される現実世界の記述ですが、法命題は「すべきである」で表される規範的な主張です。

重要なのは、「すべきである」という規範は、「である」という事実から論理的に導き出すことはできないという点です。これは、事実から価値を導くことはできないという「ヒュームの法則」に依拠しています。ケルゼンは、法を純粋に認識するためには、この「である」と「すべきである」の区別を明確に意識する必要があると主張しました。

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