## キケロの弁論術についての原点
古代ギリシャの修辞学
キケロの弁論術は、古代ギリシャの修辞学に深く根ざしています。特に、アリストテレスの『弁論術』は、キケロの思想に大きな影響を与えました。アリストテレスは、弁論術を「あらゆる場合における説得の可能性を見出すこと」と定義し、ロゴス(論理)、パトス(感情)、エトス(倫理)の三要素を説得の重要な要素として挙げました。キケロは、アリストテレスの理論を基盤としながらも、独自の解釈を加え、ローマ社会の文脈に合わせた実践的な弁論術を体系化しました。
ローマの政治・社会状況
キケロが生きたローマ共和国末期は、政治的混乱と社会不安が深刻化していた時代でした。政治家たちは、民衆を味方につけ、自らの主張を通すために、雄弁な弁論術を必要としていました。キケロ自身も、弁論家、政治家として活躍し、数々の裁判や政治闘争においてその卓越した弁論術を駆使しました。 彼の弁論術は、単なる理論ではなく、現実の政治・社会状況の中で鍛え上げられた実践的な技術であったと言えます。
幅広い教養と人間観察
キケロは、古代ギリシャ・ローマの哲学、歴史、文学、法律など、幅広い分野に精通していました。彼は、これらの知識を弁論術に積極的に活用し、論理の構築、歴史的事例や文学作品からの引用、道徳的な訴えなどを効果的に展開しました。 また、キケロは人間心理に対する深い洞察力を持っていました。彼は、人間の感情や心理を巧みに操ることで、聴衆を説得に導くことを重視しました。
実践的な弁論技術の重視
キケロは、弁論術を「技術」として捉え、その習得には体系的な訓練が必要であると説きました。彼は、弁論の準備段階から、構成、文体、発声、身振りまで、具体的な方法論を提示しました。 キケロの弁論術は、単なる才能ではなく、努力によって誰でも習得できる技術であるという点で、画期的かつ実践的なものでした。