## キケロの弁論術についての光と影
### 1. キケロの弁論術における光
キケロの弁論術は、古代ローマ社会において絶大な影響力を持つとともに、その後の西洋修辞学・雄弁術の礎を築きました。彼の弁論術の核となる要素は、「才能」「鍛錬」「学識」の三つでした。
まず「才能」とは、生まれながらにして備わっている資質を指します。キケロは、優れた弁論家は生まれつきの才能に恵まれているべきだと考えていました。しかし、才能はあくまでも可能性に過ぎず、それだけでは不十分であると説いています。
「鍛錬」は、才能を花開かせるために欠かせない要素です。キケロは、絶え間ない練習と経験を通してのみ、弁論家は真の実力を身につけることができると考えていました。彼は自らも膨大な量の練習を積み、聴衆を魅了する卓越した話術を身につけました。
最後の要素である「学識」は、説得力のある論理を構築するために不可欠です。キケロは、歴史、哲学、法律、文学など幅広い分野に精通し、その膨大な知識を駆使して、聴衆を納得させる論理を展開しました。
キケロの提唱した弁論術は、単なる話術のテクニックではなく、倫理観や人間性をも重視したものでした。彼は弁論家に対して、単に雄弁であるだけでなく、教養豊かで高潔な人格者であることを強く求めたのです。
### 2. キケロの弁論術における影
キケロの弁論術は、その後の西洋社会に多大な影響を与えましたが、同時にいくつかの批判も浴びてきました。
まず、彼の弁論術は、高度な教育を受けたエリート層以外には習得が困難であるという点が挙げられます。複雑な修辞技法や膨大な知識の習得には、多大な時間と労力を要するため、一般市民にとっては敷居の高いものでした。
また、キケロは弁論術を政治的な目的のために利用することに積極的であったことも批判の対象となりました。彼は自らの弁論術を駆使して政敵を攻撃したり、自身の政治的主張を通そうとしたため、権力闘争の道具として利用したとの批判もあります。
さらに、彼の弁論術は、形式や技巧に偏重するあまり、内容が空虚になりがちであるという指摘もあります。美しい言葉や巧みな話術に魅了され、本質を見失ってしまう危険性も孕んでいたと言えるでしょう。
これらの批判点は、キケロの弁論術が抱える影の部分として、今日でも議論の的となっています。