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カントの純粋理性批判の世界

## カントの純粋理性批判の世界

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認識の起源への問い

イマヌエル・カントの主著『純粋理性批判』は、人間の認識能力(理性)を批判的に検討し、その限界と可能性を明らかにしようとする試みです。古代ギリシャ以来、認識の起源については、経験を重視する経験論と、理性に priori な能力を認める合理論が対立してきました。カントは、経験論と合理論のいずれにも限界があると指摘し、両者を総合する「批判哲学」を提唱します。

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感性と悟性

カントは、人間の認識能力を「感性」「悟性」「理性」の三つに区分します。外界からの刺激を受け取る受容的な能力である「感性」は、「時間」と「空間」という二つの純粋直観形式を介して現象を捉えます。時間と空間は、外界に実在するものではなく、認識を可能にするための感性の形式として、アプリオリに人間に備わっているものです。

一方、「悟性」は、感性が受け取った現象を概念を用いて統合し、判断を下す能力です。悟性には、「因果性」「実体」「必然性」といった12のカテゴリーがアプリオリに備わっており、これらのカテゴリーによって現象を秩序づけ、法則的なものに認識します。

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物自体と現象

カントによれば、私たちが認識しているのは、時間と空間の形式によって秩序づけられ、悟性のカテゴリーによって統合された「現象」です。時間、空間、悟性のカテゴリーは、いずれも人間側の認識の形式であるため、私たちは「物自体」を認識することはできません。物自体は、現象の背後に存在する「思考の対象となりうるもの」として想定されますが、その本質を知ることは不可能です。

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理性と超越論的誤謬

悟性を超え出て、無条件者を条件づけられたものから求めようとする能力である「理性」は、「魂」「世界」「神」という三つの理念を導き出します。しかし、これらの理念は、経験によって与えられるものではなく、あくまで理性が自ら作り出したものです。理性は、これらの理念を用いて現象を超えた世界を認識しようとしますが、それは「超越論的誤謬」に陥る危険性を孕んでいます。

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純粋理性の限界と実践理性の可能性

カントは、『純粋理性批判』において、人間の認識能力である純粋理性の限界を明らかにしました。私たちが認識できるのは、あくまで「現象」の世界であり、「物自体」の世界を知ることはできません。しかし、カントは、『実践理性批判』において、道徳法則のような実践的な領域では、理性が自律的に作用する可能性を示唆しています。

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