## カントの判断力批判の構成
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序論
『判断力批判』は、序論において、人間の認識能力における判断力の位置づけを明らかにすることから始まります。カントは、これまで考察してきた認識能力である感性と悟性に加えて、判断力が認識能力の体系に不可欠であると論じます。
感性は、感覚を通して外界からの多様な印象を受容する能力です。悟性は、感性が受け取った表象を概念を用いて統合し、自然法則のような普遍的な認識をもたらします。しかし、感性と悟性の間には、一見すると埋められない溝が存在します。
判断力は、この溝を埋める働きをします。判断力は、個別の特殊なものを、すでに悟性において確立された普遍的な概念と照らし合わせて認識する能力です。
例えば、「これは机である」という判断において、私たちは、目の前にある具体的な「これ」という個別の対象を、「机」という普遍的な概念と結びつけています。この結びつけの働きを担うのが判断力です。
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第一部 審美的判断力批判
第一部では、審美的判断力、すなわち美や崇高に対する私たちの判断能力について考察されます。美とは何か、崇高とは何かという問いに対して、カントは、美や崇高は、対象物の客観的な性質ではなく、私たちの主観的な判断によって成立するものだと主張します。
私たちは、美しいものや崇高なものに直面したとき、快や不快といった感情を抱きます。しかし、カントによれば、審美的判断は、単なる個人的な好き嫌いの表明ではありません。審美的判断は、特定の対象に対して、特定の感情を抱くことを、すべての人間に要求する一種の普遍性を持っているとされます。
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第二部 目的論的判断力批判
第二部では、目的論的判断力、すなわち自然物や自然現象を目的を持つものとして認識する私たちの能力について考察されます。
自然界には、人間の作為によって作られたものではないにもかかわらず、まるで何らかの目的のために作られたかのように見えるものが存在します。例えば、生物の複雑な構造や生態系の精巧なバランスなどは、目的論的な解釈を誘います。
カントは、目的論的判断は、自然を認識するための不可欠な能力であると論じます。しかし、同時に、目的論的判断は、自然の認識を完成させるものではなく、あくまで「規制的」な原理にとどまると主張します。