カミュの異邦人と時間
時間と疎外
ムルソーは、母親の死後も、自分の裁判中も、時間に対して奇妙な無関心を示します。彼は、伝統的な時間的概念(過去、現在、未来)に縛られているようには見えず、むしろ、瞬間瞬間を断片的に生きているかのようです。
彼のこの態度は、周囲の人々との間に深い溝を作ります。彼らはムルソーの行動を理解できず、彼を冷酷で無感覚な人間だと非難します。例えば、母親の葬儀の際、ムルソーは涙を流さず、コーヒーを飲み、タバコを吸います。これは、社会が期待する「正しい」悲しみの表現とはかけ離れており、周囲の人々を困惑させ、嫌悪感を抱かせます。
時間と自然
ムルソーは、自然と触れ合う時、時間に対する感覚が変化する様子を見せます。太陽の光、海の波、星空など、自然の要素は、彼に強烈な感覚的体験をもたらし、時間から解放されたような感覚を与えます。
例えば、殺人事件が起こる前の海岸での描写では、太陽の光と海のきらめきが執拗なまでに描写され、ムルソーは時間感覚を失い、恍惚とした状態に陥ります。この時の彼の意識は、周囲の環境と一体化し、時間の流れから切り離されたかのように見えます。
反復と時間の無意味さ
小説では、時間の反復が重要なモチーフとして繰り返し登場します。ムルソーの日々は、職場と自宅を往復する単調な繰り返しであり、彼自身もこの反復性を自覚しています。
さらに、裁判の場面では、検察官がムルソーの過去の行動(母親の葬儀での態度など)を執拗に掘り下げ、彼の「犯罪者性」を証明しようとします。しかし、ムルソーにとって、過去の行動は既に過ぎ去ったものであり、現在の彼自身とは無関係です。このことから、ムルソーにとって、過去も現在も未来も、本質的に意味を持たない断片的な時間の連続であることが示唆されます。