## オットーの聖なるもの
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表現
オットーは著書『聖なるもの』の中で、”聖なるもの”を人間のいかなる理性によっても捉えきれない、まったく異質なものとして捉え、”ヌミノーゼ”と呼びました。彼はヌミノーゼの持つ二面性、すなわち、畏怖すべきもの(tremendum)としての側面と、魅惑するもの(fascinans)としての側面を強調しました。
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畏怖すべきもの(tremendum)
“畏怖すべきもの”は、人間にとって危険で恐ろしい、圧倒的な力を持つものとして経験されます。それは、自然の脅威、病気、死など、人間の無力さを突きつけるような存在によって引き起こされます。オットーはこの感情を、「生き物の被造物たる意識。すなわち、自分が無でありながら存在することを、まったく無に直面しながら経験すること」(『聖なるもの』)と表現しています。
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魅惑するもの(fascinans)
一方、”魅惑するもの”は、人を惹きつけずにはおかない魅力、喜び、恍惚感をもたらすものとして経験されます。美しい自然、崇高な芸術、愛する人との出会いなど、私たちの人生に深い意味と価値を与えてくれるような存在によって引き起こされます。
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ヌミノーゼ経験の表現
オットーは、ヌミノーゼ経験を表現するために、”神秘的”、”恐るべき神秘”、”圧倒的な力”、”生き物の全存在を貫く戦慄”といった言葉を用いています。彼はまた、これらの言葉では表現しきれない、ヌミノーゼのもつ根本的な非合理性、非言語性を強調しています。