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アリストテレスの詩学を深く理解するための背景知識

アリストテレスの詩学を深く理解するための背景知識

アリストテレスの生涯と時代背景

アリストテレスは、紀元前384年にマケドニアのスタゲイラで生まれました。彼の父はマケドニア王アミュンタス3世の侍医でした。17歳でアテネのプラトンのアカデメイアに入学し、プラトンが亡くなるまでの約20年間、そこで学び、教えました。プラトンの死後、アリストテレスはアテネを離れ、アソス、ミティリーニ、マケドニアなどを転々としました。紀元前343年には、マケドニア王フィリッポス2世に招かれ、王子アレクサンドロス(後のアレクサンドロス大王)の家庭教師となりました。

アレクサンドロスが王位につくとアリストテレスはアテネに戻り、リュケイオンという学校を創設しました。この学校では、哲学、論理学、修辞学、政治学、倫理学、生物学、物理学など、幅広い分野の研究と教育が行われました。アリストテレスは膨大な数の著作を残しましたが、その多くは講義録や研究ノートであったと考えられています。

紀元前323年にアレクサンドロス大王が死去すると、アテネでは反マケドニアの動きが強まり、アリストテレスはマケドニア人であることを理由に告発されました。彼はアテネを離れ、エウボイア島のカルキスに逃れ、翌年に亡くなりました。

アリストテレスが活躍した時代は、古代ギリシャのポリス(都市国家)が衰退し、マケドニアが台頭してきた激動の時代でした。アテネはペロポネソス戦争でスパルタに敗北し、その政治的、経済的な力は衰えていました。しかし、アテネは依然として文化の中 Zentrum であり、哲学、文学、演劇などの分野で優れた作品が生み出されました。アリストテレスは、このような時代背景の中で、プラトンの哲学を批判的に継承し、独自の哲学体系を構築しました。

古代ギリシャの演劇文化

古代ギリシャの演劇は、ディオニューソス神を祭る宗教的な儀式から発展したと考えられています。ディオニューソスは、ブドウ酒と豊穣の神であり、また、狂乱とエクスタシーの神でもありました。ディオニューソス祭では、歌と踊りを中心とした儀式が行われ、その中で演劇が生まれたとされています。

古代ギリシャの演劇には、悲劇、喜劇、サテュロス劇の3つのジャンルがありました。悲劇は、英雄や神々などの高貴な人物の不幸な運命を描いたもので、観客にカタルシス(心の浄化)をもたらすことを目的としていました。喜劇は、日常生活や政治などを題材とした風刺的な作品で、観客を笑わせることを目的としていました。サテュロス劇は、半人半獣のサテュロスが登場する滑稽な作品で、悲劇の後に上演され、緊張を和らげる役割を果たしました。

古代ギリシャの演劇は、野外劇場で上演されました。劇場は、オーケストラと呼ばれる円形の舞台と、それを取り囲む観客席から構成されていました。俳優は仮面をつけ、舞台上で歌い、踊り、セリフを話しました。合唱隊は、劇の進行を説明したり、登場人物の心情を歌ったりする役割を果たしました。

古代ギリシャの演劇は、アテネを中心に盛んに行われました。毎年、ディオニューソス祭では、悲劇と喜劇のコンテストが開催され、優れた作品が選ばれました。アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスは、古代ギリシャの3大悲劇詩人として知られています。アリストファネスは、古代ギリシャを代表する喜劇詩人です。

プラトンの芸術論とミメーシス

プラトンは、アリストテレスの師であり、西洋哲学に大きな影響を与えた哲学者です。プラトンは、イデア論を唱え、真に実在するのはイデアであり、感覚的に捉えられるこの世界はイデアの影に過ぎないと考えました。プラトンは、芸術をイデアから3番目に離れたものとみなし、芸術は現実の模倣(ミメーシス)であり、さらにイデアからも離れているため、真実から遠いものと批判しました。

プラトンの芸術論は、彼のイデア論に基づいています。プラトンは、イデアこそが真の実在であり、感覚的に捉えられるこの世界は、イデアの不完全な模倣に過ぎないと考えました。例えば、美しい花は、「美」というイデアの不完全な模倣であり、絵画や彫刻は、その花をさらに模倣したものであるため、イデアから2段階離れたものとなります。プラトンは、芸術は現実を模倣するだけでなく、人間の感情に訴えかけることによって、理性的な判断を妨げ、魂を堕落させると考えました。

プラトンの芸術論は、アリストテレスの芸術論に大きな影響を与えました。アリストテレスは、プラトンの芸術論を批判的に継承し、独自の芸術論を展開しました。「詩学」において、アリストテレスは、芸術は現実の模倣であるが、それは単なる複製ではなく、現実の本質を捉え、それを普遍的な形で表現するものであると主張しました。アリストテレスは、芸術は人間の感情に訴えかけるだけでなく、理性的な認識をもたらし、魂を高めることができると考えました。

修辞学との関連性

アリストテレスは、「詩学」と並んで、「弁論術」という修辞学に関する著作も残しています。修辞学とは、説得のための技術を研究する学問です。アリストテレスは、弁論には、ロゴス(論理)、パトス(感情)、エートス(人格)の3つの要素が重要であると考えました。

アリストテレスは、「詩学」においても、悲劇の効果としてカタルシスを挙げ、悲劇が観客の感情に訴えかけることによって、心の浄化をもたらすと述べています。これは、修辞学におけるパトスの概念と関連しています。また、アリストテレスは、悲劇の主人公は、高貴な人物であるべきだと述べていますが、これは、修辞学におけるエートスの概念と関連しています。

アリストテレスは、「詩学」と「弁論術」において、それぞれ詩と弁論を分析していますが、その根底には、人間の心を動かし、説得するための技術を探求するという共通の目的があります。

倫理学との関連性

アリストテレスは、「ニコマコス倫理学」などの著作で、倫理学についても論じています。倫理学は、人間の行為の善悪を研究する学問です。アリストテレスは、人間の幸福は、徳の実現によって達成されると考えました。徳とは、知性、勇気、節制、正義などの優れた性格のことです。

アリストテレスは、「詩学」において、悲劇の主人公は、ハマルティア(判断の誤り)によって不幸に陥ると述べています。ハマルティアは、倫理学における徳の欠如と関連しています。また、アリストテレスは、悲劇は、観客にカタルシスをもたらすことによって、道徳的な教訓を与えることができると考えました。

アリストテレスは、「詩学」と倫理学において、それぞれ詩と人間の行為を分析していますが、その根底には、人間の幸福とは何かを探求するという共通の目的があります。

これらの背景知識を踏まえることで、「詩学」におけるアリストテレスの議論をより深く理解することができます。

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