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ベルクソンの時間と自由の表現

## ベルクソンの時間と自由の表現

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持続としての時間

ベルクソンにとって、時間は客観的なものではなく、意識の内部で生きられる主観的なものです。彼は、時計が刻むような均質で分割可能な時間を「空間化された時間」と批判し、真の時間は質的に異なり、流動し、持続するものであると主張しました。

この「持続」としての時間は、過去から現在、そして未来へと絶えず流れ行く非連続的なものです。過去は現在において生きており、現在から切り離されたものではありません。また、未来はあらかじめ決定されているのではなく、過去の蓄積と現在の創造的行為によって絶えず開かれています。

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自由と持続

ベルクソンは、自由は空間化された時間と決定論的思考から生じる錯覚であると主張します。空間化された時間においては、すべてはあらかじめ決定されているかのように見えます。しかし、持続としての時間においては、過去は現在において生きており、未来は開かれているため、真の自由が可能となります。

自由とは、ベルクソンによれば、「持続の深み」から湧き上がる創造的行為です。それは、過去の蓄積と現在の状況に基づきながらも、それらに還元されない新しいものを生み出す力です。

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直観と持続

ベルクソンは、持続としての時間を捉えるためには、知性による分析的な思考ではなく、直観による把握が必要であると主張しました。直観とは、対象を分析的に分割することなく、その全体性を直感的かつ直接的に把握する能力です。

持続としての時間は、知性によって分析可能な静的なものではなく、絶えず流動し変化する動的なものです。直観はこの動的な持続を、その内側から把握することを可能にします。

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