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メルロ=ポンティの知覚の現象学の秘密

## メルロ=ポンティの知覚の現象学の秘密

メルロ=ポンティにとって、伝統的な哲学の「秘密」は何だったのでしょうか?

伝統的な哲学、特にデカルトに始まる近代哲学は、世界を「客観的な物質」と「主観的な精神」という二元論的な枠組みで捉え、両者の関係を問うことを出発点としてきました。メルロ=ポンティは、この二元論的な枠組みこそが、私たち人間の経験を捉え損ねていると考えました。彼は、私たちが世界を経験する際には、常に身体を介しており、身体を通して世界と関わり、世界を意味づけていると主張しました。

では、メルロ=ポンティの言う「身体」とは、どのようなものでしょうか?

従来の哲学では、身体は精神の「乗り物」や「道具」として捉えられがちでした。しかし、メルロ=ポンティにとって身体は、単なる物質的な存在ではなく、世界と関わり、世界を理解するための根本的な媒介となるものでした。彼は、身体が「習慣」や「技能」を通して世界に「埋め込まれて」おり、この「身体化された」経験を通して、私たちは世界を知覚し、意味を与えていると主張しました。

「知覚の現象学」における「現象」とは、具体的に何を指すのでしょうか?

メルロ=ポンティは、「現象」を「現れているもの」そのものとして捉えることを強調しました。つまり、「現象」とは、私たちの意識に現れる「感覚データ」や「表象」ではなく、世界が私たちに「直接的に」現れているありのままの姿を指します。そして、この「現象」を捉えるためには、先入観や既存の知識によって歪められる前の、生の経験に立ち返ることが重要になります。

メルロ=ポンティは、絵画をどのように捉えていたのでしょうか?

メルロ=ポンティは、セザンヌなどの近代絵画を分析することで、自身の哲学を深めました。彼は、絵画を描くという行為は、単に「対象」を「模倣」することではなく、画家自身の身体を通して世界を「表現」することだと考えました。画家は、キャンバスと対峙することで、世界の見え方、感じ方を模索し、新たな「世界との関係」を築き上げます。そして、鑑賞者は、絵画を通して画家の身体化された経験を追体験することで、世界を新たな視点から捉え直すことができるようになるのです。

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