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ベルクソンの時間と自由とアートとの関係

## ベルクソンの時間と自由とアートとの関係

ベルクソンの時間論における「純粋持続」と自由

アンリ・ベルクソンは、著書『時間と自由』において、時間に対する伝統的な理解を批判し、独自の時間論を展開しました。伝統的な時間論では、時間は空間化され、均質で可逆的なものとして捉えられてきました。ベルクソンは、このような時間理解を「空間化された時間」と呼び、真の時間である「純粋持続」と区別します。

「純粋持続」とは、質的に異なり、不可逆的に流れていく時間の流れそのものです。それは、過去から未来へと流れるだけでなく、過去を現在に内包しつつ、絶えず変化していく動的なプロセスです。ベルクソンは、この「純粋持続」こそが、私たちの意識の根底に流れる真の時間であると主張しました。

自由と「純粋持続」の密接な関係

ベルクソンにとって、自由は「純粋持続」と不可分に結びついています。彼は、私たちが真に自由であると感じられるのは、空間化された時間から離れ、「純粋持続」に意識を向けた時だと考えました。「純粋持続」においては、過去も未来も現在の瞬間の中に溶け込み、私たちは過去の束縛や未来への不安から解放されます。この、過去・現在・未来が融合した瞬間こそが、真の自由が実現される時です。

アートにおける「純粋持続」の表現

ベルクソンは、アート、特に音楽や詩などの時間芸術が、この「純粋持続」を表現する手段になりうると考えました。なぜなら、時間芸術は、空間化された記号ではなく、時間そのものを素材としているからです。

音楽は、音の高低やリズムといった要素が時間的に展開することで、聴き手に「純粋持続」を体験させます。詩においても、言葉のリズムや韻律、イメージの連鎖を通して、読者は時間的な流れの中に引き込まれ、「純粋持続」の世界を垣間見ることができます。

ベルクソンは、優れた芸術作品は、私たちを日常的な時間意識から解放し、「純粋持続」の世界へと導く力を持っていると考えました。

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