## プラトンの『国家』とアートとの関係
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模倣としての芸術
プラトンは、『国家』の中で、イデア論に基づいて芸術を厳しく批判しています。プラトンにとって、真なる存在はイデアであり、私たちが感覚するこの世界は、イデアの単なる模倣に過ぎません。そして、芸術は、この世界の事物、つまりイデアの模倣をさらに模倣したものとして、真実から二重に離れたものと見なされます。
たとえば、絵画は、現実のベッドを模倣していますが、現実のベッド自体もまた、イデアとしての「ベッド」の不完全な模倣です。詩や演劇なども、現実の人間の行動や感情を模倣していますが、それらはすべてイデアから離れたものに過ぎません。プラトンは、芸術家が真の知識を持たずに、単に感覚的なものに囚われて作品を制作していると批判しました。
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感情に訴える芸術の危険性
プラトンは、芸術が人間の理性よりも感情に強く訴えかけるものであることを危険視していました。彼は、理想的な国家を建設するためには、市民が理性によって統治され、欲望や感情に左右されないようにする必要があると考えていました。
しかし、芸術は、悲しみや喜び、怒りや恐怖といった感情を喚起し、人々の魂を理性から遠ざけてしまう可能性があります。プラトンは、特に悲劇が、人間の感情を激しく揺さぶり、理性的な判断力を曇らせると考えていました。
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教育における芸術の役割
一方で、プラトンは、芸術が教育において一定の役割を果たすことも認めていました。彼は、音楽やリズム、物語などが、若者の精神を陶冶し、正しい道徳を育む上で有効であると考えていました。
ただし、プラトンが認めていたのは、あくまでイデアの世界を正しく反映し、理性と道徳を促進するような芸術でした。彼は、国家が教育に用いる芸術を厳格に censorship し、感情的で低俗な芸術を排除する必要があると主張しました。