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ワイルドのサロメに関連する歴史上の事件

## ワイルドのサロメに関連する歴史上の事件

### ヘロデ・アンティパスと洗礼者ヨハネの対立

オスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」は、聖書に登場するヘロデ・アンティパスとその義理の娘サロメ、そして預言者ヨハネ(洗礼者ヨハネ)の関係を題材にしています。ワイルドは聖書の内容を一部脚色しており、特にサロメがヨハネに恋心を抱き、彼の首を求めるくだりは創作によるものです。

歴史上のヘロデ・アンティパスは、紀元前4年頃から39年までガリラヤとペレアを支配したローマ帝国の分封王でした。彼は異父兄の妻ヘロディアと結婚しますが、これはユダヤ教の律法に反するものでした。洗礼者ヨハネはこの結婚を公然と非難し、ヘロデを激怒させます。

### サロメの宴とヨハネの処刑

聖書によると、ヘロデは自身の誕生日に宴を催し、ヘロディアの娘サロメに踊りを披露させます。ヘロデはサロメの踊りにいたく喜び、望みのものを何でも与えようと約束します。サロメは母ヘロディアのそそのかしにより、ヨハネの首を盆に載せて持って来るように要求します。ヘロデはヨハネを殺すことをためらいますが、すでに人前で約束してしまった手前、やむを得ずヨハネを処刑させます。

ワイルドの戯曲では、サロメ自身がヨハネに肉体的魅力を感じており、拒絶された腹いせに彼の首を求めるとされています。これは歴史的な裏付けのない、ワイルドによる創作です。

### 19世紀末のデカダンスと「サロメ」の上演禁止

ワイルドの「サロメ」は1891年に執筆されましたが、聖書の内容を扱っていること、そしてサロメとヨハネの退廃的な描写を含むことから、イギリスでは上演が許可されませんでした。当時のイギリス社会はヴィクトリア朝時代の道徳観が強く、このような作品はスキャンダルとみなされたのです。

「サロメ」は1896年にパリで初演され、大きな反響を呼びました。世紀末のヨーロッパはデカダンスと呼ばれる退廃的な文化が流行しており、「サロメ」はその象徴として受け入れられました。しかし、イギリスでは1931年まで上演が禁止され続けました。

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