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プルタークの英雄伝から学ぶ時代性

## プルタークの英雄伝から学ぶ時代性

### 1. 英雄像に投影された古代ローマの理想像

プルタークが『英雄伝』を著したのは、1世紀後半から2世紀初頭にかけてのローマ帝国時代です。この時期は、パクス・ロマーナと呼ばれるローマによる平和がもたらされ、帝国は繁栄を謳歌していました。しかし同時に、共和政から帝政へと移行したことで、伝統的なローマの価値観が揺らいでいた時代でもありました。

こうした時代背景の中、プルタークはギリシャとローマの英雄たちを対比させる形で描くことで、読者であるローマ人に、理想的な為政者像や市民像を提示しようとしました。例えば、共和政期のローマの英雄であるキンキナトゥスは、質素で私利私欲を捨て、国のために尽くす人物として描かれています。これは、贅沢に溺れ、権力闘争に明け暮れる当時のローマの支配層に対する、プルタークからの痛烈な批判と解釈することができます。

また、プルタークは英雄たちの言動や行動を通して、節制、勇気、正義、知恵といった、古代ギリシャ・ローマ世界において共通して重視された徳を強調しました。これらの徳は、当時のローマ社会においてもなお重要な価値観として受け継がれており、『英雄伝』は、読者であるローマ人に、自らの生き方を振り返り、理想的な人間像を追求するよう促すものでした。

### 2. ギリシャ文化への憧憬とローマの優越意識

プルタークはギリシャ人でありながら、ローマ帝国で高い社会的地位を得て活躍した人物でした。彼はローマ文化に深く傾倒していましたが、同時に、ギリシャ文化への強い憧憬を抱いていたことも事実です。

『英雄伝』において、ギリシャとローマの英雄たちを対等に並べていることは、ギリシャ文化に対するプルタークの敬意の表れと解釈することができます。彼は、ギリシャの英雄たちの高潔な精神や優れた知性を、ローマ人にも見習ってほしいと願っていたのかもしれません。

一方で、『英雄伝』には、ギリシャ文化に対するローマの優越性を示唆するような記述も散見されます。例えば、プルタークは、ギリシャの英雄たちの多くが、内紛や私利私欲によって身を滅ぼしたことを指摘し、ローマの英雄たちの団結力や国家への忠誠心を賞賛しています。これは、当時、ギリシャを属州として支配していたローマの立場を正当化する意図も読み取れます。

このように、『英雄伝』は、プルターク自身の複雑なアイデンティティ、すなわち、ギリシャ文化への憧憬と、ローマ帝国における支配者としての自負の両方が反映された作品と言えるでしょう。

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