# プルタークの英雄伝を深く理解するための背景知識
プルタークの生涯と時代背景
プルタークは、ローマ帝国時代のギリシャ人著作家であり、哲学者、政治家、歴史家、伝記作家、倫理学者など多岐にわたる分野で活躍しました。紀元46年頃、ギリシャ中部のボイオティア地方カイロネイアという小さな町で生まれ、紀元120年頃、同じ町で亡くなったと考えられています。当時のギリシャはローマ帝国の支配下にあり、ギリシャ文化とローマ文化が融合しつつあった時代です。プルターク自身もローマ市民権を持ち、ローマ帝国各地を旅し、幅広い教養を身につけていました。彼はギリシャ文化への深い愛情を持ちながらも、ローマの支配を現実として受け入れ、ギリシャ人とローマ人の融和を願っていました。
英雄伝の構成と目的
プルタークの代表作である「英雄伝」は、ギリシャとローマの著名な人物をペアにして、それぞれの伝記を並列に記述し、最後に二人の人物を比較する形式をとっています。伝記は年代順に記述するのではなく、人物の性格や業績などを中心に、エピソードを交えながら生き生きと描かれています。プルタークは「英雄伝」を歴史書ではなく、倫理的な教訓を与えるための書物と位置づけていました。彼は偉人の生涯を通して、読者に模範となる人物像を示し、徳と悪徳、理性と情熱、運命と自由意志など、人間の普遍的な問題について考えさせようとしたのです。
英雄伝に登場する人物と時代
「英雄伝」には、テーセウスやリュクルゴスといった神話時代の英雄から、アレクサンドロス大王やカエサルといった歴史上の偉人まで、様々な時代の人物が登場します。ギリシャ側の人物としては、ソロン、テミストクレス、ペリクレス、アルキビアデス、デモステネスなどが、ローマ側の人物としては、ヌマ・ポンピリウス、カミルス、ファビウス・マクシムス、マルケルス、スッラ、ポンペイウス、カトー、ブルータス、アントニウスなどが挙げられます。これらの英雄たちの生涯を通して、古代ギリシャとローマの政治、社会、文化、軍事など、様々な側面を垣間見ることができます。
プルタークの思想と倫理観
プルタークはプラトン主義の影響を強く受けた哲学者であり、人間の魂の不滅やイデア論などを信じていました。また、ストア派の倫理思想にも共感し、理性に基づいた徳の実践を重視しました。彼は人間の理性と情熱の葛藤、運命と自由意志の問題、幸福とは何かといったテーマについて深く考察し、「英雄伝」を通じて読者に倫理的な指針を与えようとしました。プルタークはまた、神々への敬虔な信仰を持ち、デルフォイのアポロン神殿の神官を務めた経験もあります。彼の倫理観は、古代ギリシャの伝統的な宗教観と哲学思想を融合させたものでした。
英雄伝の影響
「英雄伝」は古代から現代に至るまで、多くの人々に愛読され、大きな影響を与えてきました。ルネサンス期には、ヨーロッパの知識人たちに古典古代への関心を呼び覚まし、人文主義の発展に貢献しました。シェイクスピアは「英雄伝」を題材とした多くの戯曲を書きましたし、モンテーニュは「エセー」の中でプルタークを高く評価しています。現代においても、「英雄伝」は古代ギリシャとローマの歴史と文化を知るための重要な資料として、また、人間の生き方について考えるためのヒントを与えてくれる書物として、読み継がれています。
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読書意欲が高いうちに読むと理解度が高まります。