# レヴィ＝ストロースの構造人類学を深く理解するための背景知識

ソシュールの言語学

クロード・フェルディナン・ソシュールは、２０世紀初頭の言語学者であり、近代言語学の祖とされています。彼の言語学理論は、レヴィ＝ストロースの構造主義人類学に大きな影響を与えました。ソシュールは、言語を「記号の体系」として捉え、記号は「シニフィアン（記号表現）」と「シニフィエ（記号内容）」の二つの要素から構成されるとしました。重要なのは、シニフィアンとシニフィエの関係は恣意的であり、必然的な結びつきはないということです。例えば、「犬」という言葉（シニフィアン）と、犬という動物（シニフィエ）との間には、必然的な関係はありません。他の言語では、全く異なる言葉で犬を表していることがその証拠です。また、ソシュールは、言語には「ラング（langue）」と「パロール（parole）」の二つの側面があるとしました。ラングは、言語の全体的な構造、すなわち文法や語彙などの規則体系を指します。パロールは、個々の具体的な発話行為を指します。ソシュールは、言語学の研究対象は、パロールではなく、ラングであると主張しました。レヴィ＝ストロースは、このソシュールの言語学理論を、文化や社会の分析に応用しました。彼は、文化や社会も、言語と同様に、記号の体系であり、その背後には、無意識の構造が存在すると考えました。

構造主義

構造主義とは、２０世紀半ばにフランスを中心に興隆した、学際的な知的潮流です。構造主義は、様々な現象の背後にある、普遍的な構造を明らかにすることを目指します。構造主義の思想は、言語学、人類学、心理学、文学理論など、様々な分野に影響を与えました。構造主義の重要な特徴の一つは、人間の意識よりも、無意識の構造を重視することです。人間の行動や思考は、意識的なものではなく、むしろ無意識の構造によって規定されていると考えます。構造主義は、現象を要素に分解し、要素間の関係を分析することによって、その構造を明らかにしようとします。例えば、言語学においては、文を単語に分解し、単語間の関係を分析することによって、文の構造を明らかにします。レヴィ＝ストロースは、この構造主義の方法論を、人類学に応用しました。彼は、 kinship（親族関係）、myth（神話）、ritual（儀礼）などの文化現象を、要素に分解し、要素間の関係を分析することによって、その背後にある無意識の構造を明らかにしようとしました。

デュルケームの社会学

エミール・デュルケームは、１９世紀後半から２０世紀初頭にかけて活躍したフランスの社会学者であり、社会学の創始者の一人とされています。彼の社会学理論は、レヴィ＝ストロースの構造主義人類学に大きな影響を与えました。デュルケームは、社会を「社会的事実」によって構成されると考えました。社会的事実とは、個人を超越した、強制力を持つ、社会的な規範や価値観などのことです。例えば、法律、道徳、宗教、言語などが社会的事実です。デュルケームは、社会的事実を研究することによって、社会の構造を明らかにできると考えました。また、デュルケームは、「集団表象（collective representation）」という概念を提唱しました。集団表象とは、社会集団によって共有されている、概念、信念、価値観などのことです。集団表象は、個人の意識を超越した、社会的な存在であり、社会の統合に重要な役割を果たすと考えました。レヴィ＝ストロースは、デュルケームの社会学理論を、文化の分析に応用しました。彼は、文化も、社会と同様に、集団表象によって構成されると考えました。文化の背後には、社会的な構造が存在し、その構造を明らかにすることによって、文化を理解できると考えました。

マルセル・モース

マルセル・モースは、２０世紀前半に活躍したフランスの人類学者であり、デュルケームの甥にあたります。彼は、交換の体系としての社会構造の分析に焦点を当て、贈与交換の理論で特に知られています。モースの研究は、レヴィ＝ストロースの構造主義人類学に大きな影響を与えました。モースは、贈与交換は単なる経済的な行為ではなく、社会的な関係を構築し維持するための重要な手段であると主張しました。贈与交換は、贈与、受贈、返礼という三つの義務から構成され、この義務の連鎖によって、人々の間に対称的で互恵的な関係が築かれると考えました。モースの代表作である『贈与論』では、ポリネシアやメラネシアの社会における贈与交換の事例を分析し、贈与交換が社会構造の基盤となっていることを明らかにしました。レヴィ＝ストロースは、モースの贈与交換理論を、親族構造の分析に応用しました。彼は、結婚交換を一種の贈与交換と捉え、結婚交換を通じて、異なる集団間に対称的で互恵的な関係が築かれると考えました。

アメリカ文化人類学

アメリカ文化人類学、特にフランツ・ボアズが提唱した文化相対主義と、彼の弟子であるアルフレッド・クローバーやルース・ベネディクトらによる文化とパーソナリティの研究は、レヴィ＝ストロースの知的背景を形成する重要な要素です。ボアズは、それぞれの文化は独自の価値観と歴史的背景を持っており、他の文化の基準で評価すべきではないという文化相対主義を主張しました。クローバーは、文化を統合された全体として捉え、それぞれの文化が独自の性格、すなわち文化的 configuration を持つとしました。ベネディクトは、文化を個人のパーソナリティ形成に大きな影響を与えるものと捉え、文化とパーソナリティの関係を研究しました。レヴィ＝ストロースは、アメリカ文化人類学の文化相対主義的な視点を高く評価し、自身の構造主義人類学にも取り入れました。彼は、それぞれの文化は独自の構造を持っており、その構造を理解するためには、文化相対主義的な視点が不可欠であると考えました。

イギリス社会人類学

イギリス社会人類学、特にアルフレッド・ラドクリフ＝ブラウンとブロニスワフ・マリノフスキーの機能主義は、レヴィ＝ストロースの構造主義人類学と対比されることが多いですが、彼の知的形成に一定の影響を与えています。ラドクリフ＝ブラウンは、社会構造を社会の機能維持に貢献する制度の体系として捉え、社会構造の分析を重視しました。マリノフスキーは、文化を人間の生物学的および心理的なニーズを満たすための機能的なシステムとして捉え、参与観察というフィールドワークの手法を確立しました。レヴィ＝ストロースは、イギリス社会人類学の機能主義的な説明を批判し、社会構造の背後にある無意識の構造を明らかにすることを目指しました。しかし、彼は、イギリス社会人類学の厳密なフィールドワークの方法論や、社会構造の分析の重要性からは影響を受けています。

心理学

特にジークムント・フロイトの精神分析と、カール・グスタフ・ユングの分析心理学は、レヴィ＝ストロースの構造主義人類学に大きな影響を与えました。フロイトは、人間の精神を意識、前意識、無意識の三つの層に分け、無意識が人間の行動や思考に大きな影響を与えていると主張しました。ユングは、人間の無意識には、個人無意識と集合的無意識の二つのレベルがあり、集合的無意識には、人類共通の原型（アーキタイプ）が貯蔵されていると考えました。レヴィ＝ストロースは、フロイトやユングの無意識の概念を、文化の分析に応用しました。彼は、文化の背後には、人間の無意識の構造が存在し、その構造を明らかにすることによって、文化を理解できると考えました。特に、ユングの原型（アーキタイプ）の概念は、レヴィ＝ストロースの神話分析に大きな影響を与えました。彼は、神話には、人類共通の無意識の構造が反映されていると考えました。

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